※本記事は、2024年2月26日に公開した記事の再掲です。
約1000年前のウクライナの墓地から発見された女性の遺骨。首にかけられた輪は「社会的な目印」だったと考えられている。
Vyacheslav Baranov | National Academy of Sciences of Ukraine
- ウクライナのキーウ近郊で発見された集団墓地は、「ペイガン(異教徒)」の時代のものと見られている。
- 遺骨の足元にはバケツが置かれ、首には精巧な輪がかけられていた。
- この謎めいた埋葬地は、ヨーロッパの暗黒時代を垣間見せてくれる。
約1000年前の墓地から、儀式的な装飾が施された人骨が発見された。足元にはバケツが置かれ、首にはたくさんの輪がかけられていた。
ウクライナのキーウ近郊にあるその集団墓地は、「ペイガン(異教徒)」の時代のものと見られており、107体の遺骨が発掘された。
この神秘的な埋葬地は、ローマ帝国の滅亡からイタリア・ルネッサンスの始まりまでの1000年にわたるヨーロッパの暗黒時代を垣間見せてくれる。
研究者たちは、長い間忘れ去られていた人々の骨とともに、斧、剣、槍、宝石、ブレスレット、卵の殻や鶏の骨といった食べ物の残骸を発掘した。
発掘を指揮した2人の研究者、ヴセヴォロド・イヴァキン(Vsevolod Ivakin)とヴャチェスラフ・バラノフ(Vyacheslav Baranov)の説明によると、今回見つかった武器はキーバン・ルース(現在のベラルーシ、ウクライナ、ロシア西部を領土とする中世の政治連盟)やヨーロッパ北東部の典型的なものだという。
発掘現場のオストリヴ墓地。
Vyacheslav Baranov | National Academy of Sciences of Ukraine
墓地から発見された石の祭壇は、ペイガンあるいは初期キリスト教の儀式に使われた可能性がある。
イヴァキンとバラノフは、2024年1月初旬にシカゴで開催されたアメリカ考古学協会の年次総会でこの研究成果を発表したと、Live Scienceが報じている。
墓地には男性と女性の遺骨があったが、女性だけが精巧な輪で首元を飾られており、それは「一種の社会的な目印だったようだ」と、彼らはLive Scienceに語っている。
首に輪がはめられた遺骨(左)と墓地の跡(右)。
Vyacheslav Baranov | National Academy of Sciences of Ukraine
一部の男性の遺骨の足元には木製のバケツが置かれていた。これは葬儀に関連している可能性があり、11世紀のプロイセンの火葬や、ポメラニアやマソヴィアにあった軍人エリートの埋葬墓地を彷彿とさせると、Independentが報じている。
Live Scienceによると、いくつかの遺物はバルト海で発掘されたものと類似しているという。当時のバルト海域は、987年頃にキリスト教に改宗したヴォロディミール大王に支配されていた。
今回の発見は、ウクライナの歴史における宗教的転換と、東ヨーロッパにおけるキリスト教の到来を物語っている。
バラノフがBusiness Insiderに語ったところによると、今回発掘された遺骨は、ウクライナ周辺が北ヨーロッパ共通の歩みに同期していたバイキング時代後期まで遡るという。
この調査結果は「ヨーロッパにおける汎ヨーロッパ史がたどった過程とよく対応しており、汎ヨーロッパ史全体とヨーロッパ民族を一般的な文脈の中で研究することの重要性を改めて示している」とバラノフは述べている。
また、このような小規模で閉鎖的な性質を持つ集団は、当時としては珍しかったとバラノフは付け加えた。
この墓地が使用されていたころ、ウクライナ地方の人々はキリスト教へ改宗し始めていた。特にヴォロディミール大王がペイガンの宗教からキリスト教に改宗し、洗礼式を行ったことが知られている。
ウクライナでの考古学プロジェクトは2017年に始まった。戦争によって困難に見舞われているにもかかわらず、2022年と2023年にも調査は続けられた。だがバラノフによると、数名の調査隊員がすでに戦死しており、他の隊員も動員されて前線に出ているという。隊員の減少が発掘作業の妨げになっている。
現在進行中の調査は、ドイツ研究振興協会などが資金を提供し、複数の研究センターが共同で行っている。