小さな子供たちは、何でも遊びながら覚えていく。遊びの天才だ。
もちろんゴルフだって同じだ。
試しに練習グリーンに、あなたのお子さんと1~2人の小学生の友達を連れていってみるといい。
パッティングは穴をめがけてボールを転がし入れる極めてシンプルなゲームだから、あなたが一度パッティングの仕方さえ見せてあげれば、すぐに彼らは遊びを開始する。
見よう見まね。ボールが転がる速度なども自然に察知していく。
このとき、あなたが子供達に教えるべきことはパットの上手な打ち方ではない。
グリーン上で、守らなければならないマナーについてだ。
芝を傷つけない。カップ周辺を踏まない。ゲームに慣れてきたらボールのマークの仕方……。
(最近気になるのはボールを足で動かす子が少なくないことだ。グリーン上でボールに触るのは必ず手であることを伝える。足でボールに触れる、蹴る行為は芝を傷つけてしまう可能性が高い。だからいけないのだと、理由を説明することを忘れずに)。
いまでもゴルフを特殊なスポーツと思いこんでいる人が多いからだろうか。初めから子供達にあれこれ技術的な事を教えようとする父兄は多い。それよりも遊び感覚で彼らの自由にさせよう。
注意事項として伝えるべきこと、それは危険な行為と他人を気遣うマナーに関してだ。
それだけで十分。
負けず嫌いな彼らは、よい結果を導き出すために自分で考えて行動する。ほんの10分もすれば子供たちはパット大会に熱中していることだろう。
「Do Play‼」
さて、改まって子供にゴルフを始めさせようとか、気負う必要はない。
野球を始めるときのように、軽くキャッチボールからだ。
そう言われても簡単にゴルフ場に子供を連れていくことなど出来ないじゃないかという声が聞こえてくる。確かにその点は問題だ。この国のゴルフの敷居の高さだろう。(近年、キャッチボールさえ禁止の公園が多くなり、親子で気軽に投げ合う事も難しいらしい…)
それでも各地のゴルフコースや練習場で初心者・ジュニアを招く企画が開催されている。夏休み、冬休みといった子供たちの長期休暇シーズンにその種のイベントが多い。
トップアスリートを育成する事と同じく、いやそれ以上に大切な事
「ザ・ファースト・ティ・ジャパン」では、2014年から初心者のキッズ・ジュニアにゴルフを経験してもらえるよう各地でプログラムを開催している。道具を持たなくてもクラブの貸出しをする。(初めてクラブセットの入ったキャディバックを渡された子の眼は輝いている)
ザ・ファースト・ティの行うプログラムは単発ではなく、年間を通じて毎週、あるいは隔週、同じ会場で実施している。
きっかけ作りも大事だが、どんなスポーツでも継続して取り組む事こそ大切だ。
子供たちはゴルフを続けるうちに、生きるために必要な事柄を学んでくれる。
「米国ファースト・ティ」のプログラム開発副社長ライアン・グラフは、TVネットワーク・ゴルフチャンネルのインタビューに対してこんな風に語っている。
「ゲーム(ゴルフ)を通してライフスキル(生きていく上で必要な能力)を伝えることが大変に重要だと思っています。ジュニアたちはライフスキルを学校や家庭やその他の場面で応用し、それが本当に役に立っているのです(中略)。私達のコーチは『スクリーン(スマホやモバイル等の画面)』を見る時間を減らし『グリーン(緑)』を見る時間を増やそうと提唱しています。ジュニアが『対人関係スキル』を学ぶ時間のことです。これは本当に重要です。スクリーンやコンピューターの前で過ごす時間より、ゴルフは外に出たり、他人との関係を大切にしたり、外の新鮮な空気を楽しんだり、屋外での活動をする機会を明らかに増やします」
http://www.thefirstteejapan.org/topics/detail/id=34
ジュニア育成では、トップアスリートとなって活躍する選手へ目がいきがちだ。
優秀な彼らを世に出すことがゴルフの普及に繋がることは十分承知している。しかし、成人となった後もゴルフを大事なスポーツ・趣味にし、情熱を持って社会に出る子を多く育てるのは重要なことだ。
気軽に親子で始めるキャッチボール(野球)も、実は単なるボールの投げ合いではない。
子供は投げられて来たボールを取るとき、親の思いを受け取っている。そして親は投げ返されたボールを乾いた音を立てグラブに収めるその瞬間、子供の強い意志を感じ取る。そこに言葉にはできない心の交信が始まる。
幼い頃、子供は親の傍から離れない。やがて親子の距離は子供の成長に連れて遠くなっていく。わけても思春期において、子供は遥か遠くにいると感じさせられる。
さまざまな成長過程を経て、やがて彼らがプレーヤーとして親と対等な立場でゴルフをする時、互いに心のキャッチボールをしながら白球を追える人になってほしい。
毎週のようにジュニアゴルファーと、その父兄に接しながら、そう願っている。