「ゴルフの神様に感謝」 プロ50年、青木功の重い一言

日経電子版2015年2月12日配信

前回の東京オリンピックが開かれた1964年にプロテストに合格した青木功の「プロ生活50周年を祝う会」が、2014年12月19日に都内のホテルで開かれた。
ゴルフ界からはもちろん、プロ野球の長嶋茂雄さん、大相撲の九重親方(元横綱千代の富士)らスポーツ関係者、さらには安倍晋三首相まで駆けつける空前のスケールとなった。

「ゴルフつくってくれてありがとう」

そんな中でのあいさつを「こんなに長く続けることができる体に産んでくれた両親に感謝しています」と切り出したところで言葉を詰まらせ、目を赤くした。さらに、次のように続けた。
「ゴルフの神様に感謝しています。ティーグラウンドに立つといつも『ゴルフというスポーツをつくってくれてありがとうございます』とお礼を言っています」

プロにはなったものの、3年間は予選落ちばかり。68年の関東プロで初めて賞金を手にしたが、71年に28歳で初優勝(関東プロ)するまでに7年もかかっている。「宵越しの銭は持たない」ではないが、もらった賞金があっという間に消えてしまう荒れた生活を送っていた男が、ゴルフに真正面から取り組むようになって、どんどん成長していく。

たまたま「帝王」ジャック・ニクラウスと初日、2日目の予選ラウンドが同じ組になった80年の全米オープン。「ジャックについていこう」とだけの思いでプレーした結果、敗れはしたが、最終日の最終ホールまでもつれ込む、まさに4日間72ホールの2人の激闘となった。

苦労に対して神様が最高のシナリオ

あるいは83年のハワイアン・オープン。最終日の17番を終えて、トップのジャック・レナーに1打遅れていたが、18番パー5の第3打、左ラフから128ヤードのピッチングウエッジのショットが直接カップインしてイーグル。野球でいえば「逆転・満塁・サヨナラホームラン」で米ツアー初優勝が転がり込んできたのだ。

日本人男子プロとして初めて米ツアーに本格挑戦し、コースの違い、言葉の問題、生活環境の差、いろんなことで苦労してきた青木に、ゴルフの神様が最高のシナリオを用意し、「よく頑張った」と肩に手を置いてくれたようにすら感じられる。

青木の前に、日本人として最初に米ツアーに挑んだ樋口久子にも、同じようなことがいえるように思う。女子プロゴルファー第1期生としてスタート。ところが当時の日本には年間4~5試合しかない。戦いの場を求めて米国に行ったが、初めて大陸横断する飛行機の窓から下を眺めて「こんなに広いんだったら、強い人がたくさんいるだろうな」と不安になったという。田舎町のモーテルでは、心細くて寝られなかったこともあったそうだ。

それでも我慢をし続け、ついに77年の全米女子プロ選手権のビッグタイトルを手にすることができた。

たった1勝、それでも強烈な印象

樋口も青木も、米国での優勝はその1試合しかない。彼らの後、岡本綾子、小林浩美、福嶋晃子、宮里藍、宮里美香ら、男子でも丸山茂樹、今田竜二、松山英樹らが米国で優勝。複数回優勝の選手もいる。

それでもなお、樋口、青木の2人に強烈な印象が残るのは、その勝ち方に、何か特別な力が働いたかのような感じがあるからだろう。
われわれアマチュアにそんな大舞台はあり得ない。でも、ゴルフの神様が「よくやった」とほほ笑んでくれるような場面に遭遇できるゴルファーになりたいと願う。