還暦を迎えても現役・・・・亡き父の厳しい特訓のたまもの プロゴルファー今昔物語〜中嶋常幸編【2】

中嶋のすごさは、ダンロップフェニックストーナメントに日本人として初めて優勝したことでも証明された。

1974年に当時としては日本ツアー最高額となる賞金総額5100万円(現在は2億円)の同トーナメントが始まった。ジャック・ニクラウス(米国)やセベ・バレステロス(スペイン)ら世界の超一流選手が参戦。日本人選手はなかなか勝てなかった。初代王者のジョニー・ミラーから始まって、ヒューバート・グリーン、トム・ワトソン(いずれも米国)ら外国勢が優勝を重ねた。

そして、迎えた1985年の第12回大会で中嶋がついに日本人初優勝を飾った。第1回大会からずっと取材してきた私は、この快挙に感激したことをいまだにはっきりと覚えている。

その後、尾崎将司が3連覇を果たしたりもしたが、外国勢の大きな壁を破ったのは紛れもなく中嶋だった。

180センチ、85キロの鍛え抜かれた身体は欧米選手にひけをとらなかった。オールラウンドプレーヤーとして豪打を放つし、グリーン周りでは繊細なタッチでボールを操った。

一方、私生活では敬虔なクリスチャン。しかし、堅いばかりの性格でもなかった。中嶋が大阪を訪れた時は、しばしば新地に繰り出し、一緒に焼肉を食べたりカラオケを歌ったたりした。スター気取りのない、とてもフランクな男だった。

1983年に年間8勝を挙げるなどツアー通算48勝。尾崎将司、青木功に次ぐ3番目の記録である。2年前には左ひざ半月板の手術を受けるなど苦しい時期もあった。しかし、還暦を迎えた現在もレギュラーとシニアを掛け持ちしながら試合に出られるのは、若かりし頃、亡き父、巌氏の厳しい特訓に耐えた強靭な体力と精神力たまものだ。これからも円熟の技を見せてくれることだろう。

最近、なかなか顔を合わせる機会がないが、私も関西で行われるトーナメントにはちょくちょく取材に出ているので、また会えることを楽しみにしている。彼のツアーでの勇姿に惜しみない拍手を送りたい。

WHO‘S WHO
中嶋 常幸(なかじま・つねゆき)1954年10月20日、群馬県出身。父・巌氏の英才教育の下、10歳からゴルフを始め、73年に日本アマを18歳で制覇。樹徳高を経て75年にプロ入り。ツアー通算48勝を挙げ、賞金王に4度輝く。85年に史上初の年間獲得賞金1億円越えを達成。シニアツアーでも通算5勝。180センチ、85キロ。

【2015年10月7にデイリースポーツに掲載された記事を引用】