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Template‐ノート:日本語訳聖書

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個人訳まで入れる必要はない・

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現在のテンプレートは少し大きくなりすぎたと判断して、いったん戻します。 また、検討を要するところも幾つかあります。たとえば、ゴーブル訳は個人訳なので入れる必要がないのじゃないでしょうか。(日本初の聖書翻訳だというなら、切支丹版が出るはず。)カトリック教会の聖福音書に高橋五郎とあるのも疑問。彼は、協力者だった筈。共同訳が「超教派」で新共同訳が「エキュメニズム」というのも、猛烈な違和感があります。 ということで、編集を差し戻します。--おーた 2008年6月14日 (土) 01:36 (UTC)[返信]

どうであればよいかの提案をしていただけますか? 「ここをこうするべき、理由は・・・」のようなリストをあげていただければ議論がしやすいです。Petz 2008年6月14日 (土) 05:14 (UTC)[返信]

「どうであればよいか」と言われたら「このままで良い」というのが答えじゃないかと。詳しく記述したいならテンプレートではなく日本語訳聖書の項目に加筆すればよいわけですし。--manjushage 2008年6月14日 (土) 07:31 (UTC)[返信]

ご意見表明ありがとうございます。

なるほど、リストは少なく情報も最小のままとするのがよいという意見ですね(間違いでしたら修正してください)。

それに対しては、リストを少なくすると「なぜそれを選んだのか」が恣意的になる危険があります。 具体的にいえば、私が編集する前は、

日本語訳聖書  /-
明治元訳 (1887年)
大正改訳 (1917年)
口語訳 (1954年)
新改訳 (1970年)
共同訳 (1978年)
新世界訳 (1982年)
新共同訳 (1987年)

のような状態でした。

まず、違和感を覚えるのは、正教会やカトリックが編纂した聖書はなぜか除かれているのに、新宗教の聖書が入っていることでしょう。プロテスタント系でも非主流の福音派の聖書が入っていたりします。テンプレートはこのようなPOVな状態にあります。

さて、この違和感を除くために、この両者を取り除くことは解決になるのかどうか想像してみてください。 おそらく、取り除かれた側の立場からは、逆にPOVな編集であると抗議を受ける可能性もあることでしょう。

従い、大人の対応としては、主なものを全てリストに入れること。これがwikipediaらしい中立な編集であることになります。先の編集の意図はそのようなものでした。Petz 2008年6月14日 (土) 14:45 (UTC)[返信]

どうも。Petzさんの編集を差し戻した、おーたです。とりあえず、「超教派」「エキュメニズム」「高橋五郎」など余計な文言をくっつけたリストにする必要は無いということはご理解いただけたと思います。
さて、リストの選び方なんですが、ご指摘のように問題は抱えています。ただ大変に微妙な問題なので、実のところキリスト教関係を執筆している編集者も迂闊に触れたくない点でありました。でも、良い機会だから少し議論しておくこととしましょう。
まず、聖書協会系の聖書の系列が外せないことは、どの編集者もおおよそ合意できるものと思います。明治元訳から始まって、大正改訳、口語訳、共同訳・新共同訳は、各時代ごとに「日本語の聖書」と言われたら、まずこれらの聖書が出てきたものです。日本語の本でも、聖書の引用を行うときはこういった聖書協会系の聖書から引かれていたという事実は動かせません。
で、正教会やカトリックの編纂した聖書がなぜ入らないのか、という問題です。言っちゃなんですが、マイナーだからです。信者がマイナーということではなくて彼らの聖書がマイナーだったんです。カトリックや正教の外から見て、極めて閉じた文書にすぎない。カトリック育ちの私ですが、そこは認めざるを得ないのです。カトリック作家の遠藤周作でも、聖書の引用をするときは大正改訳をつかっていたぐらいです。共同訳以前にカトリックで標準的に(正式ではないらしい)使われていたのはバルバロ訳ですが、誰がカトリック以外でバルバロ訳なんて知っているでしょうか。ま、入れたほうが良いというなら反対はしませんが、「入れなくて良い」で私はよいです。
ゴーブル訳は論外なのは、ほとんど人に知られていない翻訳ですし、そもそも完結していません。なぜ、これを入れたのかPetzさんの根拠を知りたいです。
福音派の新改訳はとても微妙です。「偏った翻訳である」「いや、聖書協会訳の方が偏っている」という式の不毛な議論もあるんですが、Petzさんの「プロテスタント系でも非主流の福音派」という発言はあまりにも不用意すぎるというか、現状を認識しておられないように見えます。1980年代以降の米国国内では福音派は「非主流」と切って捨てることが出来なくなるくらいに、信徒数、教会組織の多様性(福音派は単一組織じゃありません)、政治発言力は増しています。私自身は福音派がキリスト教の主流だとは思っていませんが(主流を自称するような夜郎自大な人は多いですが)、現状認識は誤るべきではありません。現実に福音派諸教会は豊富な資金力で、聖書協会を上回ろうとする勢いで「新改訳」の各国語版を世界中に配っているのです。それは、日本の一般書店の聖書の棚を見ても分ることです。従って「新改訳」がリストに入ることは、私は反対しません。
最後に「新世界訳」ですが、これはご指摘の通りです。カトリックや正教以上に閉じた組織の中で使われているだけの聖書ですから、私はこれはリストから外すべきだと思います。--おーた 2008年6月15日 (日) 05:13 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。いくつか論点があるようなので分けて議論した方が良いようですね。

注釈を入れるべきかどうか
おーたさんは「「高橋五郎」など余計な文言」と書かれていることから注釈には反対なのだと思います。私が注釈を入れたのは「その聖書はどういう立場から書かれているのか」はキリスト教に詳しい人ではないと書名だけからは分からないと考えたからです。具体的には新世界訳と書名があって、どういう立場から書かれた聖書かを知る人は少数派ではないかと思います。
注釈の文言は適切か
カトリック版に高橋五郎は不適切という指摘だと思います。これに関しては、適切な表示はどうあるべきかを提示いただければ議論にできます。私自身は、より適切な表示があれば、高橋五郎表示に固執は致しません。
正教会やカトリックの聖書を入れるべきか
「マイナーだから」入れる必要が無いという意見であると理解しました。ただ、マイナーという価値判断を入れるならば、明治版も大正版も、現在それを日常的に利用している人はマイナーでしょうから、削除すればとの結論にもなりそうです。私自身はどうしてもこの両者を入れるべきと固執しているわけではありませんが、マイナーがゆえに入れないという意見は如何なものかと考えています。
ゴーブル訳を入れるべきか
私が入れた理由は、維新開国の最初期に作成された記念碑的な聖書というつもりでした。あるいはもっと適切な聖書があるのかもしれません。提案頂ければさいわいです。これもあくまでもゴーブル訳でなければならないとは考えておりません。
福音派の新改訳を入れるべきか
福音派は(米国では)資金力・組織力があるゆえにリストにいれるべき、との意見と理解しました(誤解であれば修正ください)。確かに米国ではそのような実情があるのかもしれませんが、日本では間違いなく非主流はでしょう。私が「プロテスタント系でも非主流の福音派」と昨日書いたのは「日本語訳聖書」テンプレのノートなので日本における実情を念頭においていました。それ以外の他意はありません。私自身の意見もリストに残すべきですが、理由は「資金力・組織力」ではなく、NPOVであるためです。
新世界訳を入れるべきか
「閉じた組織の中」の使用に限られるため、リストから除くべきとの意見と理解しました。確かに最もな意見ですが、こと宗教に関しては、ある宗派教派が閉じているか開いているかはPOVであることが避けられないのではないかとも考えています。従い、リストから除くことは慎重に議論が必要ではと思います。

最後に私が先に編集したリストを再掲致します。リスト改善の叩き台になれば幸いです。

ゴーブル版聖書  ジョナサン・ゴーブル、1871年 (個人翻訳、『摩太福音書』のみ現存。バプテスト派)
明治元訳聖書   翻訳委員社中、1887年 (プロテスタント)
聖福音書     高橋五郎、1895年 (カトリック教会)
日本正教会訳聖書 ニコライ・カサートキン、1901年 (正教会)
大正改訳聖書   改訳委員会、1917年 (プロテスタント)
口語訳聖書    日本聖書協会、1954年 (プロテスタント)
新改訳聖書    日本聖書刊行会、1970年 (福音主義教会)
共同訳聖書    日本聖書協会、1978年 (超教派)
新世界訳聖書   ものみの塔聖書冊子協会、1982年 (エホバの証人)
新共同訳聖書   日本聖書協会、1987年 (エキュメニズム)

Petz 2008年6月15日 (日) 07:41 (UTC)[返信]

ええとですね。なぜ、高橋五郎が聖福音書の翻訳者扱いなんですか?彼は助手じゃないですか。なぜ、カトリックの翻訳でラゲ訳でもバルバロ訳でも無く、1895年訳だけを出すんですか?福音主義教会って単一会派があると思っておられるんですか?日本の一般書店の聖書の棚で各翻訳がどの程度並んでいるか見たことがありますか?「エキュメニズム」と「プロテスタント」と「超教派」を同列に並べることに何の問題も無いとお考えですか?(概念と、教派を同一カテゴリとして扱っていることに気がつかないのでしょうか?)明治元訳と大正改訳の文体が日本文学と現代日本語の成立に及ぼした影響をどの程度ご存知ですか?その上で、明治元訳は現代生活に何のかかわりも無いマイナーな訳だと仰るのでしょうか?いったい百科事典というものをどのように考えておられるのでしょうか?ゴーブルの訳が記念碑的な翻訳だと、どこの誰が言ったのですか?
てな感じで、いろいろ疑念が浮かんできて私はpetzさんのお相手をするのは適切じゃないような気がしました。少し時間をおきますので、他の編集者とお話ください。そして、Petzさん自身で、ご自分がこの編集に関わるのに適任かどうか考え直していただければと思います。--おーた 2008年6月15日 (日) 11:58 (UTC)[返信]

老婆心ながら、あまり感情的になるのはいかがかと思います。 私の問題意識は、元のテンプレートのリストがPOV(カトリックも正教会も無視され、なぜか新宗教や福音派のものが入っている)ためそれを是正すべきというものです。個々の小さな項目にはこだわりはありませんとは既に述べたとおりです。

さて「高橋五郎」ではなく、別に表示すべき人名もしくは団体があれば提案をしていただければ議論ができます。私はもっと適切な表示があれば、こだわりません。 また、「聖福音書」以外にもリストに掲載すべきカトリック翻訳があればリストに掲載すればよいと思います。 「福音主義教会」に関しては議論が横にそれているように思います。ただ日本では非主流という点では合意いただけると理解しています。 あと、「日本文学」の話が唐突にでてきましたが、このリストに掲載するかどうかは「日本文学」への影響の程度できめるべきだという提案でしょうか? ゴーブル訳はリストに掲載する価値が無いので削除するべきという意見ですね。 (個人攻撃的な部分は無視いたします) Petz 2008年6月15日 (日) 12:54 (UTC)[返信]

リストの位置づけ

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日本語訳聖書への加筆があらかた終わったため、こちらについても議論を提起します。最初にこのテンプレを見たとき、協会訳に新改訳のみというリストの根拠がサッパリ分かりませんでした。このノートを見て、過去に色々議論があったということは理解しましたが、選択が少々恣意的に思います。『日本語訳聖書』はその名前からすれば、日本語に訳された聖書のテンプレであるべきで、マイナーか、マイナーでないかという主観的な基準で区切るのは適切でないように思います。そこで、改善策として以下の3案を提案します。

  1. 協会訳以外は、新約・旧約を全訳したもののみを含むようにする(「続編」は任意)。新約の全訳は結構多いですが、旧約の全訳は限られるので、両方揃っているものとなると、バルバロ訳、フランシスコ会訳、新改訳、現代訳、リビングバイブル、新世界訳、岩波委員会訳くらいで済むはずですから、主観の入り込む余地はなく、かつ肥大化も防げます。
  2. 協会訳のみに絞り、記事に表示されるこのテンプレの題名を「聖書協会の日本語訳」(仮)などとし、対象の聖書の記事でしか使わないようにする。
  3. Template:日本の聖書とかぶっており、あちらの方が充実しているため、このテンプレは廃止する。(なお、あちらのテンプレにしても、年の書き方がバラバラすぎて予備知識がないと意味不明だろうとか、日本語訳聖書なのに漢訳が混じっているのはおかしい(川島第二郎氏のリストを中途半端な形で利用したのでは?)とか言いたいことはありますが、こちらから順に片付けていきます)

とりあえず案1でよいのではないかと考えていますが、案3にも反対はしません(少なくとも、現状のテンプレでは重複して存在している意味が全くありません。もちろん向こうが後から作られたことは認識していますが、縦長のこのスタイルであちらの機能を全部取り込むのは無理でしょうから、片方だけ残すとすれば、あちらにせざるをえないでしょう)。--Sumaru会話2016年4月10日 (日) 12:14 (UTC)[返信]

案1に沿って試作してみました(右画像)。縦にすっきりさせることを企図して画像を自作のものに差し替えましたが、旧来あった横長のものはTemplate:日本の聖書の方で使うようにすることを想定しています。もう1週間程度待った上で、特に異論がなければ右のものに差し替えます。--Sumaru会話) 2016年4月17日 (日) 07:36 (UTC) 議論終了に付き画像をコメントアウト--Sumaru会話2016年5月1日 (日) 04:00 (UTC)[返信]

報告 ほぼ2週間異論がないため差し替えました。--Sumaru会話2016年5月1日 (日) 04:00 (UTC)[返信]