コンテンツにスキップ

2005年の読売ジャイアンツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2005年の読売ジャイアンツ
成績
セントラル・リーグ5位
62勝80敗4分 勝率.437
本拠地
都市 東京都文京区
球場 東京ドーム
球団組織
オーナー 滝鼻卓雄
経営母体 読売新聞グループ本社
監督 堀内恒夫
選手会長 高橋由伸
« 2004
2006 »

テンプレートを表示

2005年の読売ジャイアンツ(2005ねんのよみうりジャイアンツ)では、2005年読売ジャイアンツの動向についてまとめる。

この年の読売ジャイアンツは、堀内恒夫監督の2年目のシーズンである。

概要

[編集]

前年の守備力低下を招いた反省から、守りの野球を標榜し、中堅手のレギュラー候補としてゲーブ・キャプラー、クローザー候補としてMLBで活躍したダン・ミセリを補強し、堀内監督が「今年は(前年優勝の)中日との一騎打ちになるだろう」と語るなど、3年ぶりの優勝が期待された。しかし、開幕4連敗を喫すると、4月21日からの6連敗で最下位に転落した。6月2日まで最下位に低迷し続けた。その間に、野手陣では昨年の本塁打王であるタフィ・ローズに加えて、清原和博高橋由伸が故障離脱、次いでキャプラーも不振に終わるなど誤算が相次いだが、チーム本塁打は前年を下回りながら186本塁打で相変わらずリーグ1位を記録した。投手陣ではエースの上原浩治高橋尚成がともにシーズン12敗を喫した。さらに抑えとして期待されたミセリの不振による途中退団も重なり、チーム防御率は2年連続でワーストを更新した。最終的には4.80とリーグ最下位だった。6月3日に広島を追い抜き、なんとか最下位脱出を果たしたが、それ以降もチーム状態が上がらず、5位に沈んだ。そしてシーズン終了後、8年ぶりにBクラスに転落した責任を取り、堀内が任期を1年残して辞任した。また一軍ヘッド兼打撃コーチの山本功児、一軍投手コーチの阿波野秀幸、一軍外野守備走塁兼打撃コーチ補佐の弘田澄男、二軍監督の高橋一三、二軍ヘッド兼打撃コーチの淡口憲治、二軍投手コーチの関本四十四、二軍外野守備走塁コーチの屋鋪要も同時に退団した。そして堀内の後任として、原辰徳が再び監督に就任した。3年ぶりにチームの指揮を執ることになった。

レギュラーシーズン

[編集]
オーダー変遷
開幕:4/1 5/1 6/1 7/1 8/2 9/1
1 仁志敏久 仁志敏久 清水隆行 清水隆行 鈴木尚広 清水隆行
2 二岡智宏 清水隆行 二岡智宏 元木大介 川中基嗣 鈴木尚広
3 高橋由伸 高橋由伸 ローズ ローズ 清水隆行 二岡智宏
4 清原和博 清原和博 小久保裕紀 小久保裕紀 小久保裕紀 小久保裕紀
5 ローズ ローズ 高橋由伸 高橋由伸 ローズ 阿部慎之助
6 小久保裕紀 小久保裕紀 元木大介 清原和博 阿部慎之助 高橋由伸
7 キャプラー 二岡智宏 阿部慎之助 阿部慎之助 二岡智宏 仁志敏久
8 阿部慎之助 阿部慎之助 斉藤宜之 二岡智宏 仁志敏久 村田善則
9 上原浩治 野間口貴彦 仁志敏久 高橋尚成 上原浩治 西村健太朗
    内海哲也      
2005年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 中日 -- 阪神 -- 阪神 -- 阪神 -- 阪神 -- 阪神 --
2位 広島 2.5 ヤクルト 0.5 中日 4.5 中日 3.0 中日 0.5 中日 10.0
3位 阪神 3.0 中日 1.5 ヤクルト 5.5 横浜 10.5 ヤクルト 9.0 横浜 17.0
4位 ヤクルト 3.5 横浜 4.0 横浜 7.0 ヤクルト 11.0 横浜 13.0 ヤクルト 17.5
5位 横浜 5.0 広島 4.5 巨人 9.5 巨人 15.0 巨人 18.0 巨人 25.5
6位 巨人 7.0 巨人 7.0 広島 13.0 広島 18.0 広島 20.0 広島 29.5
期間
成績
9勝16敗
勝率.360
11勝12敗3分
勝率.478
12勝10敗1分
勝率.545
8勝13敗
勝率.381
10勝15敗
勝率.400
12勝14敗
勝率.462


2005年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 阪神タイガース 87 54 5 .617 優勝
2位 中日ドラゴンズ 79 66 1 .545 10.0
3位 横浜ベイスターズ 69 70 7 .496 17.0
4位 ヤクルトスワローズ 71 73 2 .493 17.5
5位 読売ジャイアンツ 62 80 4 .437 25.5
6位 広島東洋カープ 58 84 4 .408 29.5


交流戦

[編集]
日本生命セ・パ交流戦2005 最終成績
順位 球団 勝率
1位 千葉ロッテマリーンズ 24 11 1 .686 優勝
2位 福岡ソフトバンクホークス 23 12 1 .657 1.0
3位 阪神タイガース 21 13 2 .618 2.5
4位 読売ジャイアンツ 18 14 4 .563 4.5
5位 ヤクルトスワローズ 20 16 0 .556 4.5
6位 横浜ベイスターズ 19 17 0 .528 5.5
7位 オリックス・バファローズ 17 16 3 .515 6.0
8位 西武ライオンズ 18 18 0 .500 6.5
9位 中日ドラゴンズ 15 21 0 .417 9.5
10位 北海道日本ハムファイターズ 12 22 2 .353 11.5
11位 広島東洋カープ 11 24 1 .314 13.0
12位 東北楽天ゴールデンイーグルス 11 25 0 .306 13.5

オールスターゲーム2005

[編集]
  • 選出選手及びスタッフ
ポジション 名前 選出回数
コーチ 堀内恒夫
投手 上原浩治 7
工藤公康 10
一塁手 清原和博 18
  • 太字はファン投票による選出。

できごと

[編集]
  • 4月19日 - ダン・ミセリがこの日で解雇。開幕からわずか2週間という異例の速さでの解雇となり、球団としても史上最速である。
  • 4月26日 - 対ヤクルト戦(福岡ヤフードーム)で、コーチの弘田澄男タフィ・ローズの守備について「緩慢だ」と指摘し、これにローズが激怒。試合後には「ジャイアンツ下手くそ。ジャイアンツ大嫌い。」と発言。球団から罰金の処分を受ける。
  • 4月29日 - 通算499本塁打としていた清原が対広島戦(広島市民球場)で広池浩司からバックスクリーンへ本塁打を放ち、500号を達成する。
  • 6月23日 - 球団代表取締役会長に前球団オーナーの渡邊恒雄が就任[1]
  • 7月30日 - 通算349本塁打としていた江藤智が対中日戦(東京ドーム)で8回裏2死三塁の場面で平井正史から左翼へ大飛球を放つが天井にあたり、同球場特別ルールで左飛となり、幻の本塁打となった[2]
  • 9月9日 - 巨人対中日戦(東京ドーム)の先発は巨人が42歳の工藤公康、中日が40歳山本昌で、40歳代が共に先発投手となったのはNPB史上2度目、セ・リーグでは初[3]
  • 10月5日 - 堀内恒夫監督の退任と原辰徳の2度目の監督就任が発表される。
  • 11月17日 - 中日からFAの野口茂樹が巨人へ入団[4]
  • 12月2日 - 清原の退団が発表される。

入団・退団

[編集]

シーズン開幕前

[編集]

本節では、前シーズン終了から本シーズン開幕までの入退団について記述する。

入団

[編集]
選手名 背番号 前所属 備考
投手
野間口貴彦 13 シダックス ドラフト自由獲得枠
後藤光貴 15 西武ライオンズ 河原純一とトレード
三木均 41 八戸大学 ドラフト自由獲得枠
伊達昌司 59 北海道日本ハムファイターズ 金銭トレード
木村正太 92 一関第一高 ドラフト5位
東野峻 93 鉾田第一高 ドラフト7位
捕手
西山秀二 31 広島東洋カープ 自由契約
星孝典 38 東北学院大学 ドラフト6位
外野手
キャプラー 22 ボストン・レッドソックス 新外国人
亀井義行 25 中央大学 ドラフト4位

退団

[編集]
選手名 去就
投手
河原純一 後藤光貴とトレードで埼玉西武ライオンズに移籍
三澤興一 東京ヤクルトスワローズ
木村龍治 トレーニングコーチ補佐
上野裕平 スコアラー
川本大輔
サンタナ 米・ブルワーズ傘下マイナー
ランデル 韓国・斗山
コーリー 米・レンジャーズ
捕手
入野久彦 東北楽天ゴールデンイーグルス
野村克則 東北楽天ゴールデンイーグルス
李景一 ブルペン捕手
内野手
ペタジーニ 米・レッドソックス傘下マイナー
福井敬治 広島東洋カープ
外野手
レイサム 独立リーグ・ロングアイランド・ダックス
井出竜也 福岡ソフトバンクホークス

シーズン開幕後

[編集]

本節では、本シーズン開幕から本シーズン終了までの入退団について記述する。

入団

[編集]
選手名 背番号 前所属 備考
ミアディッチ(投手) 63 ロサンゼルス・ドジャース傘下 6月21日入団、新外国人
マレン(投手) 69 シアトル・マリナーズ傘下 4月16日入団、日本球界復帰
姜建銘(投手) 97 台湾・国立体育学院 6月28日入団、新外国人

退団

[編集]
選手名 去就
ミセリ(投手) 4月19日解雇、米・ロッキーズ傘下マイナー
キャプラー(外野手) 7月8日解雇、米・レッドソックス

選手・スタッフ

[編集]

[5]

表彰選手

[編集]

なし

ドラフト

[編集]
大学生・社会人ドラフト
順位 選手名 ポジション 所属 結果
希望入団枠 福田聡志 投手 東北福祉大学 入団
1巡目 (選択権なし)
2巡目 (選択権なし)
3巡目 栂野雅史 投手 新日本石油ENEOS 入団
4巡目 越智大祐 投手 早稲田大学 入団
5巡目 脇谷亮太 内野手 NTT西日本 入団
6巡目 深田拓也 投手 中京大学 入団
7巡目 会田有志 投手 中央大学 入団
8巡目 梅田浩 外野手 創価大学 入団
高校生ドラフト
順位 選手名 ポジション 所属 結果
1巡目 辻内崇伸 投手 大阪桐蔭高 入団
2巡目 (選択権なし)
3巡目 加登脇卓真 投手 北照高 入団
4巡目 福井優也 投手 済美高 拒否[6]
育成選手ドラフト
順位 選手名 ポジション 所属 結果
1巡目 山口鉄也 投手 ミズーラ 入団

出典

[編集]
  1. ^ 巨人軍年表巨人球団公式サイト
  2. ^ 日刊スポーツ出版社プロ野球B級ニュース事件簿【平成版】-エーッ、ウソッ、アリャリャ……170連発- 174ページ
  3. ^ 【9月9日】2005年(平17) 工藤公康VS山本昌 55年ぶりの40代対決スポーツニッポン2009年9月1日配信
  4. ^ 中日新聞社刊「中日ドラゴンズ70年史」202ページ
  5. ^ 読売巨人軍公式HP 背番号変遷”. 読売ジャイアンツ. 2015年10月5日閲覧。
  6. ^ 一浪後に早稲田大学進学