1966年アジア競技大会
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第5回アジア競技大会 | |
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V Asian Games | |
開催国・都市 | タイ・バンコク |
参加国・地域数 | 18ヶ国 |
参加人数 | 約2,000人 |
競技種目数 | 14競技 |
開会式 | 1966年12月9日 |
閉会式 | 1966年12月20日 |
開会宣言 | ラーマ国王 |
主競技場 | スパチャラサイ国立競技場 |
Portal:オリンピック |
1966年アジア競技大会(1966ねんアジアきょうぎたいかい、V Asian Games 1966)は、1966年12月9日から12月20日までタイ・バンコクで行われたアジア競技大会。
バンコクにおける初の大規模な大会となったが、それゆえに運営がスムーズにいかず、競技ルールに統一性が無い、報道用の腕章が100人分・マラソン取材用のバスが1台不明になる、陸上競技の試技で回数を間違える・予選の記録を含めて順位を決定するなどの不手際が生じ、当時のタイ副首相がテレビを通じて陳謝した。この事態に対し、外国人記者から「アジア大会ではなくアニマル大会」であると皮肉られた[1]。
水泳では競泳で23種目、飛び込みで4種目の合計27種目を日本が独占した[2]。
12月17日に行われた男子バスケットボールの準決勝、タイ・韓国戦ではタイが67-52とリードした時点で乱闘が起き、試合が中断されたが、翌18日に大会上訴審判委でタイの勝利が採決された[3]。
参加国・地域
[編集]参加国・地域人数
[編集]IOC | 参加国・地域 | 人数 |
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実施競技
[編集]各国・地域の獲得メダル数
[編集]順 | 国・地域 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
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1 | 日本 | 77 | 52 | 33 | 162 |
2 | 韓国 | 12 | 18 | 21 | 51 |
3 | タイ | 12 | 12 | 11 | 35 |
4 | インド | 8 | 4 | 11 | 23 |
5 | マレーシア | 7 | 5 | 7 | 19 |
6 | イラン | 6 | 8 | 16 | 30 |
7 | 台湾 | 5 | 4 | 10 | 19 |
8 | イスラエル | 3 | 5 | 3 | 11 |
9 | インドネシア | 3 | 4 | 10 | 17 |
10 | フィリピン | 2 | 15 | 24 | 41 |
11 | パキスタン | 2 | 4 | 2 | 8 |
12 | ビルマ連邦 | 1 | 0 | 4 | 5 |
13 | シンガポール | 0 | 5 | 7 | 12 |
14 | ベトナム共和国 | 0 | 2 | 0 | 2 |
15 | セイロン | 0 | 0 | 5 | 5 |
16 | イギリス領香港 | 0 | 0 | 1 | 1 |
合計 | 138 | 138 | 165 | 441 |
脚注
[編集]- ^ 毎日新聞 2014年9月22日朝刊
- ^ 水泳、全種目制す 二百個人メドレー 藤井、決勝も日本新 読売新聞 1966年12月18日朝刊9ページ
- ^ 上訴審、タイの勝ちを裁決 バスケット乱闘試合 読売新聞 1966年12月19日 朝刊11ページ