1948年の相撲
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1948年の相撲(1948ねんのすもう)は、1948年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 3月、関西準本場所、晴天11日間。横綱羽黒山全勝優勝。
- 5月、夏場所、明治神宮外苑で晴天11日間。番付の生国別を府県別にする。名寄岩が関脇に陥落。紅陵大学(現拓殖大学)の吉井山が幕下付出。衆議院の議員有志で大相撲議員連盟を結成。衆議院本会議で大相撲本場所の両国国技館(メモリアル・ホール)借用の請願を可決。
- 6月、京都準本場所、晴天11日間。大関東富士全勝優勝。
- 7月、協会仮事務所、墨田区千歳町に移転。
- 10月、秋場所、大阪・福島の仮設国技館で戦後初の大阪本場所11日興業。場所後の番付編成会議で東富士の横綱昇進が決定、増位山は大関昇進決定。
本場所
[編集]- 五月場所(明治神宮外苑、13~28日)
- 幕内最高優勝 : 東冨士謹一(10勝1敗,1回目)
- 殊勲賞-力道山、敢闘賞-大蛇潟、技能賞-若瀬川
- 十両優勝 : 國登國生(9勝2敗)
- 十月場所(福島仮設国技館、15~25日)
- 幕内最高優勝 : 増位山大志郎(10勝1敗,1回目)
- 殊勲賞-増位山、敢闘賞-千代の山、技能賞-神風
- 十両優勝 : 清惠波清隆(9勝2敗)
誕生
[編集]- 1月4日 - 大潮憲司(最高位:小結、所属:時津風部屋、 2024年【令和6年】)[1][2]
- 1月11日 - 輪島大士(第54代横綱、所属:花籠部屋、 2018年【平成30年】)[3]
- 1月20日 - 凌駕精考(最高位:前頭13枚目、所属:立浪部屋)[4]
- 1月27日 - 巖虎寛一(最高位:前頭7枚目、所属:春日野部屋)[5]
- 2月4日 - 三重ノ海剛司(第57代横綱、所属:出羽海部屋、第10代日本相撲協会理事長)[6]
- 2月9日 - 富士櫻栄守(最高位:関脇、所属:高砂部屋)[1]
- 2月16日 - 魁傑將晃(最高位:大関、所属:花籠部屋、第11代日本相撲協会理事長、 2014年【平成26年】)[3]
- 2月28日 - 力駒雄偉(最高位:十両11枚目、所属:宮城野部屋、 2023年【令和5年】)
- 3月31日 - 國見山兼初(最高位:十両13枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋)
- 4月26日 - 白法山旺三(最高位:十両7枚目、所属:春日山部屋)
- 5月4日 - 若獅子茂憲(最高位:小結、所属:二子山部屋)[5]
- 5月16日 - 36代木村庄之助(元・立行司、所属:君ヶ濱部屋→井筒部屋、 2022年【令和4年】)[7]
- 6月3日 - 朝登俊光(最高位:前頭2枚目、所属:朝日山部屋)[8]
- 7月2日 - 北瀬海弘光(最高位:関脇、所属:出羽海部屋→九重部屋)[9]
- 9月26日 - 浪速龍功(最高位:十両10枚目、所属:片男波部屋)
- 10月21日 - 磐石博文(最高位:十両8枚目、所属:朝日山部屋、 2001年【平成13年】)
- 11月12日 - 黒姫山秀男(最高位:関脇、所属:立浪部屋、 2019年【平成31年】)[10]
- 11月14日 - 青葉城幸雄(最高位:関脇、所属:二所ノ関部屋→押尾川部屋)[11]
- 11月16日 - 増位山太志郎(最高位:大関、所属:三保ヶ関部屋)[12]
- 11月18日 - 金剛正裕(最高位:関脇、所属:二所ノ関部屋、 2014年【平成26年】)[13]
死去
[編集]- 1月30日 - 小野錦仁之助(最高位:前頭11枚目、所属:小野川部屋→陣幕部屋→小野川部屋→陣幕部屋、* 1909年【明治42年】)[14]
- 2月17日 - 龍王山光(最高位:前頭2枚目、所属:出羽海部屋、* 1910年【明治43年】)[15]
- 4月5日 - 寒玉子爲治郎(最高位:前頭9枚目、所属:友綱部屋、* 1888年【明治21年】)[16]
- 4月30日 - 大ノ高純市(最高位:前頭10枚目、所属:高砂部屋→振分部屋、* 1891年【明治24年】)[17]
- 11月20日 - 筑波嶺清平(最高位:前頭2枚目、所属:錦島部屋、* 1909年【明治42年】)[18]
- 12月3日 - 16代式守伊之助(元・立行司、所属:伊勢ノ海部屋→出羽海部屋、年寄:立田川、* 1892年【明治25年】)[19]
出典
[編集]- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 182頁
- ^ 「大相撲の元小結大潮死去 史上1位の1891回出場」『サンスポ』2024年6月1日。2024年6月1日閲覧。
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 181頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 186頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 185頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 178頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 363頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 175頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 183頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 177頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 190頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 179頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 180頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 65頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 91頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 27頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 43頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 79頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 359頁
参考文献
[編集]- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p40