1940年の相撲
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1940年の相撲(1940ねんのすもう)は、1940年の相撲関係のできごとについて述べる。
できごと
[編集]- 1月、新大関・羽黒山が誕生。
本場所
[編集]誕生
[編集]- 1月1日 - 若天龍祐三(最高位:前頭筆頭、所属:花籠部屋)[2]
- 1月1日 - 荒川文夫(最高位:十両8枚目、所属:二所ノ関部屋)
- 1月5日 - 荒岐山正(最高位:前頭11枚目、所属:時津風部屋、 1986年【昭和61年】)[3]
- 2月6日 - 明石海秀昭(最高位:十両11枚目、所属:出羽海部屋)
- 2月21日 - 大文字研二(最高位:前頭5枚目、所属:中村部屋→二所ノ関部屋)[4]
- 3月1日 - 栃忠秀昭(最高位:十両9枚目、所属:春日野部屋、 2008年【平成20年】)
- 5月27日 - 大雄辰實(最高位:前頭筆頭、所属:井筒部屋)[5]
- 5月29日 - 大鵬幸喜(第48代横綱、所属:二所ノ関部屋、 2013年【平成25年】)[6]
- 6月21日 - 花光節夫(最高位:前頭3枚目、所属:花籠部屋、 没年不明)[7]
- 6月28日 - 海乃山勇(最高位:関脇、所属:小野川部屋→出羽海部屋、 1997年【平成9年】)[8]
- 6月29日 - 松前山武士(最高位:前頭9枚目、所属:出羽海部屋→九重部屋)[9]
- 7月1日 - 福の花孝一(最高位:関脇、所属:出羽海部屋)[7]
- 7月4日 - 熊乃浦忠行(最高位:十両9枚目、所属:花籠部屋)
- 8月6日 - 10代式守錦太夫(元・三役格行司、所属:二所ノ関部屋、 2007年【平成19年】)[10]
- 9月24日 - 金剛敏彦(最高位:十両10枚目、所属:二所ノ関部屋)
- 10月2日 - 東錦栄三郎(最高位:前頭15枚目、所属:高砂部屋、 1994年【平成6年】)[11]
- 10月6日 - 前田花英介(最高位:十両4枚目、所属:高砂部屋)
- 11月10日 - 黒鷲二千郎(最高位:十両3枚目、所属:二所ノ関部屋)
- 11月16日 - 荒波秀義(最高位:前頭4枚目、所属:時津風部屋、 2010年【平成22年】)[12]
- 11月26日 - 琴櫻傑將(第53代横綱、所属:佐渡ヶ嶽部屋、 2007年【平成19年】)[5]
- 12月3日 - 31代木村庄之助(元・立行司、所属:立浪部屋)[13]
- 12月8日 - 天水山正則(最高位:前頭10枚目、所属:荒磯部屋→伊勢ヶ濱部屋)[14]
死去
[編集]- 3月9日 - 20代木村庄之助(立行司(現役没)、所属:伊勢ノ海部屋→出羽海部屋、 1876年【明治9年】)[15]
- 5月10日 - 雷ノ峰伊助(最高位:前頭3枚目、所属:雷部屋→白玉部屋→八角部屋→立浪部屋、 1903年【明治36年】)[16]
- 9月22日 - 若常陸恒吉(最高位:前頭筆頭、所属:出羽海部屋、年寄:秀ノ山、* 1896年【明治29年】)[17]
- 10月20日 - 勝鬨鉄藏(最高位:前頭8枚目付出、所属:尾車部屋、* 1882年【明治15年】)[18]
- 10月30日 - 近江冨士初太郎(最高位:小結、所属:出羽海部屋、* 1881年【明治14年】)[19]
- 11月27日 - 秋田嶽由藏(最高位:十両4枚目、所属:春日野部屋、* 1905年【明治38年】)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 314頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 156頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 155頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 170頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 161頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 152頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 168頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 154頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 166頁
- ^ 二所ノ関部屋 - goo大相撲 - ウェイバックマシン(2005年4月9日アーカイブ分)
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 160頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 162頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 362頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 167頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 359頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 58頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 52頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 28頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 22頁