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齋藤英美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
齋藤 英美
生誕 1933年3月7日
出身地 日本の旗 日本 京都府京都市
死没 2008年
学歴 同志社大学卒業
京都市立芸術大学音楽学部音楽学科作曲専攻卒業
ジャンル クラシック
職業 電子オルガン
エレクトーン

齋藤 英美(さいとう ひでみ、1933年昭和8年)3月7日 - 2008年平成20年))は、日本電子オルガン奏者エレクトーン奏者作曲家徳島文理大学名誉教授上海音楽学院特別顧問教授

同志社大学卒業。京都市立芸術大学音楽学部卒業。京都府京都市出身。

生涯

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京都府京都市出身[1]同志社大学を卒業後[1]京都市立芸術大学音楽学部音楽学科作曲専攻に進学し卒業[2]

1957年昭和32年)にプロデビューする[1]。世界44ヵ国での演奏活動、伝統芸能民族楽器との共演など、日本の電子オルガン奏者の第一人者として国内外で活動していた。徳島文理大学音楽学部で教授を務めたほか、中国北京上海音楽学院特別顧問教授も務めた[2]

またこれまでに全国音楽療法士養成協力議会審査会委員・音楽療法音楽教育充実向上委員会委員・全日本電子楽器教育研究会委員などを歴任[2]

2008年平成20年)、徳島文理大学音楽学部在職中に死去。2009年(平成21年)2月22日には同大学むらさきホールにて「齋藤英美先生 追悼コンサート」が行われた[3]

参加作品

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作曲作品

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  • アイヌ伝説による合唱組曲 摩周湖の雨 (1969年出版, 作詞:市川祐三, SATB, pf, 音楽之友社)
    • アトニカの月
    • 網走
    • 摩周湖の雨
  • HTBソング(1968年、作詞:橋本潔 北海道テレビ放送イメージソング)[4]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c LP『ダンス・ウィズ・ミー』解説。
  2. ^ a b c 1999年,徳島文理大学『1999年 徳島文理大学大学案内』
  3. ^ 徳島文理大学音楽学部・短期大学部音楽科 これまでのコンサート ~2010”. 徳島文理大学. 2024年7月12日閲覧。
  4. ^ オープニング・クロージング - この10年(北海道テレビ放送)50-54頁