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鹿久居島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鹿久居島
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(備前♡日生大橋建設前)
鹿久居島の位置(岡山県内)
鹿久居島
鹿久居島
地理
場所 瀬戸内海
座標 北緯34度43分9.5秒 東経134度18分17.1秒 / 北緯34.719306度 東経134.304750度 / 34.719306; 134.304750座標: 北緯34度43分9.5秒 東経134度18分17.1秒 / 北緯34.719306度 東経134.304750度 / 34.719306; 134.304750
諸島 日生諸島
面積 10.13 km2 (3.91 sq mi)[1]
海岸線 28.0 km (17.4 mi)[1]
最高標高 245 m (804 ft)[1]
行政
都道府県 岡山県の旗 岡山県
市町村 備前市旗 備前市
日生町
人口統計
人口 9(2015年時点)[1]
人口密度 0.89 /km2 (2.31 /sq mi)
言語 日本語
追加情報
時間帯
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鹿久居島の東部(右上)
鹿久居島の西部(日生港みなとの見える丘公園から望む)

鹿久居島(かくいじま)は、日本瀬戸内海にある有人島のひとつで、岡山県備前市に属する日生諸島である。

概要

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本土と「うちわだの瀬戸」を挟んで向き合う。日生諸島のみならず岡山県内でも最大の島で、地形は山がち。島内には鹿が多い(=久しく居る)ことから鹿久居と名付けられた[2]無人島の期間が長かったが1946年昭和21年)から入植が進められ、2015年平成27年)の人口は9人[1]。野生のシカが鹿久居島から橋を渡る姿(頭島へ)がしばしば目撃されている。島南西部の湾を現寺湾、その北側の湾を米子湾、島中南部の湾を千軒湾と言う。

歴史

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昔は漁民が島の南側に居住して鹿久居千軒とも言われた[3]が、やがて無人島になった。1455年康正元年)には山名宗全に敗れた赤松則尚や有馬小次郎が備前国に落ち、赤松則尚は「カクイ島」で自害したという[4][5]。江戸時代に入ると、岡山藩主池田氏によって1646年正保3年)、1678年延宝6年)、1679年(延宝7年)と1680年(延宝8年)に鹿狩が行われた。

1679年(延宝7年)からは鴻島、梔島(現・前島)とともに岡山藩の牧場となり、島を開墾して飼料が育てられた。しかし、1691年元禄4年)に5頭が産まれたのが最高で1698年(元禄11年)には牧場は廃止され、島は藩の流刑地となって西南岸の現寺湾の奥に流人小屋が設けられた[1]1706年宝永3年)から1709年(宝永6年)まで約160人前後の流人がいて、身分を10段階に分けられて開墾や薪集めなどを行なっていた。しかし1710年(宝永7年)の時点で5~6反しか開墾できず、費用の問題などからこの年で同島への流刑は取り止めになった。

その後は無人島として狩や林産の場となったが、1770年明和7年)に禁猟になり藩の御林とされた。1820年文政3年)には寒河村に番所が設けられて山廻り役人が来た。1858年安政5年)の記録では、、肥草や落葉敷枝などが採集され、日生・寒河村から約600の運上銀が治められた。

1946年昭和21年)に42世帯が入植して開拓が再開し、翌年にも16世帯が移住した[6]。様々な作物の栽培が試みられたが、土地がやせていることやシカによる食害を受け成功したのはミカン栽培だけであったという。現在においてもミカン栽培が行われている。また島の周辺は近世初頭から好漁場となっており、かつては漁業争論も起きた。1993年平成5年)には弥生時代高床建物などを復元した観光施設が建設され、貫頭衣の着用や赤米を含む食事が可能となっている。

開拓当初は60世帯弱の移住があったことで、1952年(昭和27年)に日生町立日生小学校鹿久居分校[注釈 1]が設置されたが、人口は減少の一途をたどり、1983年(昭和58年)には閉校となった[6]

大生汽船日生港からの定期船を運航していたが、人口が少ないことから鹿久居島への寄港便は少なく、寄港便でさえ乗船時に鹿久居島で下船することを伝えないと通過していた。港も粗末な桟橋があるだけのものであった。

2004年(平成16年)に頭島との間に頭島大橋が完成し、さらに同年には本土と鹿久居島を結ぶ橋の建設が国の事業に採択され、備前♡日生大橋として2015年(平成27年)に開通[7][8]。これにより橋を介して本土と陸続きとなった。この影響もあり、年間の来島者は8,200人を記録している[1]

島内

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自然

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アオサギの集団繁殖地であり、1953年昭和28年)10月1日に国指定鹿久居島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定されている(面積 662 ha)。

旧跡

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鹿久居千軒遺跡
中世に栄えた港の遺跡といわれている。出土遺物の状況から縄文時代後期は移動しながら狩猟、漁労する小集団がいたことがわかる。弥生時代はほとんど変化がなく、古墳時代になって人が定住し、土器から製塩をおこなっていたとされる。鎌倉時代には備前焼などの出土量が増え港の集落が完成された[9]
御前岩
鹿狩りの際、岡山藩主池田光政がここに腰を下ろし、獲物が運び込まれるの待っていたところとされる。当時の人達は、この岩を御前岩と呼び、畏れ多いものとして岩の上に登る者はいなかったといわれている。島内の東方で南北の距離が最も短くなったところに位置する[10][11]

施設

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  • ペンションみかんの郷[12]
  • 鹿久居中央園地
  • 古代体験の郷「まほろば」[13]

交通

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備前♡日生大橋

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備前♡日生大橋
2018年3月
基本情報
日本の旗 日本
所在地 岡山県備前市
交差物件 瀬戸内海
座標 北緯34度43分36.9秒 東経134度17分2.5秒 / 北緯34.726917度 東経134.284028度 / 34.726917; 134.284028 (備前・日生大橋)
構造諸元
形式 エクストラドーズド形式
6径間連続箱桁橋
全長 765 m
有効幅員 6.5 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

備前♡日生大橋(びぜん♡ひなせおおはし)は、本土と鹿久居島を結ぶ道路橋である。備前市役所まち整備課によると絵文字の♡(ハートマーク)については特に読み方を決めておらず、自由に読んで結構とのこと[14]

概要

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2006年平成18年)に仮称「日生大橋」として事業着手し[7]2010年(平成22年)3月に着工[8]。橋の名称は2013年(平成25年)8月から10月にかけて公募し[14]、決定[15]2014年(平成26年)10月2日には橋の連結式が行われ[16]2015年(平成27年)4月16日に開通[7][8]。区分された歩道はなく、橋の上は駐停車禁止である。また、橋の中ほどの両側に待避所がある。

橋梁データ

頭島大橋

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脚注

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注釈

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  1. ^ 後に日生町立日生南小学校鹿久居分校となった。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 公益財団法人日本離島センター 編『新版SHIMADAS』公益財団法人日本離島センター、2019年、352頁。ISBN 978-4-931230-38-5 
  2. ^ 吉備温故秘録
  3. ^ 『吉備温故秘録』
  4. ^ 『嘉吉記』
  5. ^ 『応仁記』
  6. ^ a b 公益財団法人日本離島センター 編『新版SHIMADAS』公益財団法人日本離島センター、2019年、353頁。ISBN 978-4-931230-38-5 
  7. ^ a b c d e まち整備課 管理係. “架橋対策”. 備前市役所. 2015年4月16日閲覧。
  8. ^ a b c “備前 - 鹿久居島間「大橋」が開通 全長765メートル、陸続き祝う”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2015年4月16日). http://www.sanyonews.jp/article/161338/1/ 2015年4月16日閲覧。 
  9. ^ 前川 満『日生を歩く』日本文教出版株式会社、2002(平成14年)7月12日、157頁。 
  10. ^ 吉形士郎『日生町誌』日生町役場、1972(昭和47年)11月3日、262頁。 
  11. ^ 岡山民俗学会(代表・土井卓治)『日生の観光と民俗(非売品)』岡山民俗学会、1954(昭和29年7月1日)、13頁。 
  12. ^ ペンションみかんの郷”. 2020年7月4日閲覧。
  13. ^ 古代体験の郷「まほろば」
  14. ^ a b “どう読む「備前?日生大橋」 ハートかラブか、戸惑いの声も”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2015年4月21日). http://www.sanyonews.jp/article/163647/1/?rct=tobi 2015年5月2日閲覧。 
  15. ^ “日生諸島にかける『橋梁の名称』が決定しました。” (PDF (5,345KB)). 広報びぜん 平成26年1月号 (No.106) (備前市役所): p. 6. (2014年1月1日). http://www.city.bizen.okayama.jp/data/open/cnt/3/5998/1/1401.pdf 2014年10月21日閲覧。 
  16. ^ “備前・鹿久居島と本土結ぶ橋連結 来春開通、住民ら工事の節目祝う”. 山陽新聞 (山陽新聞社). (2014年10月2日). http://www.sanyonews.jp/article/77247/1/ 2014年10月21日閲覧。 

参考文献

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  • 日本歴史地名大系(オンライン版)小学館

関連項目

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外部リンク

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