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陳龍燦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
陳龍燦
基本情報
生年月日 (1965-03-21) 1965年3月21日(59歳)
選手情報
利き腕
グリップ 中国式ペンホルダー
フォア面ラバー 表ソフト
バック面ラバー 裏ソフト (*1990年頃から、ラケットを反転して使用)
戦型 前陣速攻型
ITTFサイト WTTプロフィール
獲得メダル
中華人民共和国の旗 中華人民共和国
卓球
オリンピック
1988 ソウル 男子ダブルス
世界卓球選手権
1985 イェーテボリ 男子シングルス
1985 イェーテボリ 男子団体
1987 ニューデリー 男子ダブルス
1987 ニューデリー 男子団体
1989 ドルトムント 男子ダブルス
1989 ドルトムント 混合ダブルス
1989 ドルトムント 男子団体
■テンプレート ■プロジェクト:卓球 ■選手一覧

陳 龍燦 (ちんりゅうさん、チェン・ロンツァン、Chen Longcan、陈龙灿 1965年3月21日 - ) は、中華人民共和国四川省出身の中国卓球選手である。

1973年から卓球を始め、1978年に四川省チーム、1979年には青年ナショナルチーム、1983年11月には中国ナショナルチームのメンバーになる。

1987年第39回世界卓球選手権ニューデリー大会・男子ダブルス優勝、および1988年ソウルオリンピック・ダブルス金メダル (共にパートナーは、後に「偉関晴光」と改名して日本に帰化する韋晴光) などの、輝かしい成績を残した。

1992年から日本の実業団チーム・ヤマハに所属。後に、日産自動車に移籍する。日本リーグで活躍し、チームメイトの渋谷浩、陳、そして陳/高志亮ペアのダブルスという必勝オーダーで、国内の実業団タイトルを一時期総ナメにしたことがある。

1999年第1回世界クラブ選手権 (中国) に、上述の日産自動車チームの一員として出場。チームは予選リーグで敗退したものの、1996年アトランタオリンピック・男子シングルス金メダリストの劉国梁、銀メダリストの王涛を破って一人で2点を挙げ、中国内で話題になった。

現役引退後の2007年にUSオープンに出場し、準々決勝で倉嶋洋介に敗れるも、世界ランキング486位にランクインした[1]

現在は中国に戻り、中国超級 (スーパーリーグ) にて、故郷・四川省チームのヘッドコーチとして活躍している。一時期、中国リーグに参戦していた福原愛を指導していたこともあった。

プレースタイル

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  • 卓球レポート』誌上で、表ソフト速攻型選手向けのQ&Aコーナーを、1993年頃~2000年頃まで担当。その中で、バーベルを用いて手首を鍛えるトレーニング方法を、自身が行っている様子を写した参考写真と共に紹介。これが、上述したような、ボールへの強烈な回転量の原動力になったと考えられる。
  • 他にも、サービス後バック側へ素早く回り込んで打ち込む、切れ味鋭い3球目攻撃 (上述の猛烈なボール回転を生かした、パワードライブが主であった) 、(表ソフト速攻型本来の主戦武器である) 強烈なスマッシュの他、各国のドライブ型選手が放つパワードライブを、パチンと合わせてコースを突くナックル性ショート、見た目以上に切れたツッツキ…など、非常に繊細な技術を苦も無く使いこなしたことから、「青い台の魔術師」と称された。
  • それまで、世界を圧倒して来た中国選手の代名詞であった、ペンホルダー・表ソフトの前陣速攻型プレーが総敗北するという、卓球史上に残る一大事が起きた。これを受けて、中国指導陣による抜本的な改革が始まり、陳も翌年の1990年頃から、それまでペンホルダーラケットの片面のみに表ソフトラバーを貼った従来型から、裏面に裏ソフトラバーを貼って反転プレーをするスタイルを編み出した。
  • 当時まで、ペンホルダー選手で両面にラバーを貼るのは、守備用の粒高ラバー裏ソフトラバー (元・中国女子代表の陳子荷表ソフトラバー) を併用し、サービス時やラリー中に、ラケット面を反転してプレーするスタイルの選手ぐらいだっただけに、この陳龍燦のような、攻撃用ラバー同士の組み合わせはまだ珍しかった。しかし、後年の劉国梁 (表ソフト×裏ソフト) や馬琳閻森王皓 (裏ソフト×裏ソフト) らの「ペン両面攻撃」選手らとは異なり、いわゆる「裏面打法」は最後まで取り入れず、ラケット面を反転させて表面だけで打球するスタイルであった。

主な戦績

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脚注

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  1. ^ WRトピックス3 WR486位-CHEN Longcan??”. 卓球王国 (2007年10月8日). 2021年10月10日閲覧。

外部リンク

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