釜洞醇太郎
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釜洞 醇太郎(かまほら じゅんたろう、1911年2月23日 - 1977年4月13日)は、日本の病理学者。元大阪大学総長。大阪市生まれ。
生い立ち・実績
[編集]旧制大阪府立住吉中学校(現・大阪府立住吉高等学校)、旧制大阪高等学校を経て1936年、大阪帝国大学医学部卒業。同年12月、陸軍軍医に任命。1946年の復員まで中国戦線に従軍。1949年、大阪大学医学部講師。1952年、大阪大学微生物病研究所助教授、翌年同教授。1958年~69年、同所長を務めた。1969年〜75年、大阪大学総長。1977年4月13日、心筋梗塞のため死去。叙従三位、勲一等瑞宝章追贈。
阪大総長時代
[編集]1969年より大阪大学第9代総長を務めた。当時の大学紛争に対しては毅然と対処した一方、改革を推進し、人間科学部、溶接工学研究所、言語文化部、文学部日本学講座を創設した。また、老朽化の進んだ適塾の修復復元に尽力した[1]。
受賞・栄典
[編集]著書
[編集]- 『ガン物語』岩波新書、1963年
- 『青雲 釜洞醇太郎遺文集』釜洞醇太郎遺文集編集委員会、1979年
脚注
[編集]- ^ 同上、211-216頁