コンテンツにスキップ

金溶植

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

金 溶植(キム ヨンシク、1913年11月11日 - 1995年3月31日)は、大韓民国政治家外交官本貫金海金氏[1]

生涯

[編集]

1913年、慶尚南道龍南郡にて誕生。1937年、日本中央大学を卒業。1949年1月、外務部に入省。駐香港領事、駐ホノルル総領事、駐日本公使、駐フランス公使、駐ジュネーブ公使、駐フィリピン大使、駐国連大使、駐イギリス大使、駐アメリカ大使、外務部長官、国土統一院長官、無任所長官、大統領外交担当特別補佐官、大韓赤十字社総裁を歴任した[2]

1988年ソウルオリンピックの剰余金で創設された平和賞基金の委員長職を最後に公職を退いた[3]朝鮮戦争当時は釜山に避難し、慶尚南道知事官舎を利用した大統領官邸に寄宿した[3]

2008年、民族問題研究所親日人名辞典編纂委員会により、親日派リスト司法部門にリストアップされた。

脚注

[編集]
  1. ^ (1)김해 김씨(金海金氏)-4,124,934명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年7月5日). 2022年8月15日閲覧。
  2. ^ 외교통상부 (2007年8月15日). “역대외교부장관”. 2010年7月18日閲覧。
  3. ^ a b 이정석 칼럼: (19) 뒤숭숭한 한•미 관계” (2006年11月4日). 2007年10月24日閲覧。
公職
先代
金永善
大韓民国の旗 大韓民国国土統一院長官
第3代:1973 - 1974
次代
愼道晟
先代
崔徳新
崔圭夏
大韓民国の旗 大韓民国外務部長官
第10代:1963
第15代:1971 - 1973
次代
丁一権
金東祚
先代
朴圓彬
大韓民国の旗 大韓民国無任所長官
第10代:1963 - 1964
次代
金弘植
外交職
先代
申性模
大韓民国の旗 駐日大韓民国代表部首席代表
第6代:1951 - 1957
次代
金裕沢
先代
金奎弘
曹元錫(代理)
李寿栄(代理)
大韓民国の旗フランス大韓民国公使
第3代:1957 - 1959
次代
丁一権(大使)
先代
-
大韓民国の旗ジュネーブ大韓民国代表部公使
初代:1959 - 1960
次代
金星鏞
先代
金裕沢
崔慶禄
大韓民国の旗イギリス大韓民国大使
第3代:1961 - 1962
第7代:1974 - 1977
次代
李亨根
韓豹頊
先代
李亨根
大韓民国の旗フィリピン大韓民国大使
第4代:1962 - 1963
次代
柳陽洙
先代
李寿栄
大韓民国の旗国際連合大韓民国大使
第4代:1964 - 1970
次代
韓豹頊
先代
咸秉春
大韓民国の旗アメリカ合衆国大韓民国大使
第10代:1977 - 1981
次代
柳炳賢