酒井重澄
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長12年(1607年) |
死没 | 寛永19年9月29日(1642年10月22日) |
墓所 | 広島県福山市西町1-11-8 龍淵寺(廃寺)墓地 |
官位 | 従五位下、山城守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川秀忠→家光 |
藩 | 下総国生実藩主 |
氏族 | 金森氏→酒井氏 |
父母 | 父:金森可重、母:名護屋高久の娘 |
兄弟 | 金森重近、金森重次、金森重頼、金森可次、金森重勝、金森重義、重澄、末次平蔵室、則生院某室、小出三尹継室 |
妻 | 正室:井上正就の娘 |
子 | 重知 |
酒井 重澄(さかい しげずみ)は、江戸時代前期の大名。下総生実藩主。飛騨高山藩2代藩主金森可重の七男。
元和8年(1622年)、徳川秀忠に拝謁した。のち徳川家光の小姓となり堀田正盛とともに寵愛を受け、家光の命で酒井忠勝の家号を称するようになり、下総国生実に2万5000石を与えられた(下総国関宿等3万石との説もあり)。
病気を理由に出仕せず、屋敷で静養しているはずであったにもかかわらず4子をもうけたことから、家光の勘気を受け、寛永10年(1633年)に勤務怠慢との理由で改易となった。備後福山藩水野勝成にお預けとなり、寛永19年(1642年)に食を断って自殺した。享年36。自らの境遇を恥じたためといわれている。
長男の重知も重澄に連座して伯父の飛騨高山藩3代藩主金森重頼にお預けとなったが、承応2年(1653年)に許された。翌年2000俵を給され、子孫は2000石の旗本として存続した。
登場作品
[編集]- 漫画
- 今井ムジイ『将軍の血』KADOKAWA