酒井忠隆
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶安4年2月6日(1651年3月27日) |
死没 | 貞享3年閏3月21日(1686年5月13日) |
改名 | 千熊丸(幼名)→忠隆 |
戒名 | 高台院殿指厳道徹大居士 |
墓所 | 福井県小浜市男山の空印寺 |
官位 | 従四位下、遠江守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 若狭小浜藩主 |
氏族 | 雅楽頭酒井家 |
父母 | 父:酒井忠直、母:松平定頼の娘 |
兄弟 | 忠隆、忠稠、忠與、江見舎政、忠艮、直郷 |
妻 | 正室:島津綱久の娘 |
子 | 忠囿、亀姫(長寿院、毛利吉就正室)、娘(島津惟久正室) |
酒井 忠隆(さかい ただたか)は、若狭小浜藩の第3代藩主。小浜藩酒井家4代。第2代藩主・酒井忠直の長男。
天和元年(1681年)に奏者番となる。翌年の父の死去により家督を継ぐ。このとき、父の遺言により弟の忠稠に1万石を分与して、小浜藩の支藩である敦賀藩を立藩させた。貞享3年(1686年)閏3月21日、小浜で死去した。享年36。跡を長男の忠囿が継いだ。
系譜
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