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酒井忠質

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
酒井 忠質
時代 江戸時代後期
生誕 安永9年(1780年
死没 文化13年10月23日1816年12月11日
墓所 東京都台東区浅草の崇福寺
官位 縫殿頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
播磨姫路新田藩
氏族 酒井氏(雅楽頭家分家)
父母 酒井忠交継母阿部正允の娘・禎祥院
忠全
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酒井 忠質(さかい ただたか)は、播磨国姫路新田藩の第2代藩主。

略歴

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安永9年(1780年)、初代藩主・酒井忠交の次男として生まれる。庶子であったが、正室の阿部氏との間に生まれていた嫡男が早くに死んだため、享和4年(1804年)に父が死去すると、その跡を継いだ。文化13年(1816年)10月23日に死去した。享年37。跡を子の忠全が継いだ。

系譜

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