酒井忠国
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶安4年(1651年) |
死没 | 天和3年1月11日(1683年2月7日) |
改名 | 勝之助(幼名)、忠国 |
別名 | 忠栄 |
戒名 | 静修院殿厚安忠国大居士 |
墓所 | 東京都港区愛宕の青松寺 |
官位 | 従五位下越前守、大和守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱→綱吉 |
藩 | 安房勝山藩主 |
氏族 | 酒井氏(雅楽頭家) |
父母 | 父:酒井忠朝、母:松平定行の長女・おまん |
兄弟 | 忠国、忠雄、野々口為重、松平定安、仙姫、酒井忠直養女、青山景英室ら |
妻 | 正室:毛利就隆の娘 |
子 | 忠胤、忠成 |
生涯
[編集]酒井忠朝の4男。寛文8年(1668年)6月13日、若狭小浜藩主の叔父酒井忠直から1万石を分与されて、勝山藩主となる。同年12月に叙任する。延宝2年(1674年)2月に水口城守衛を務め、延宝8年(1680年)12月には大番頭、そして大和守になった。天和元年(1681年)11月、奏者番と寺社奉行を兼任する。天和2年(1682年)11月、安房国内、上野国内で5000石を加増された。天和3年(1683年)正月11日、33歳で死去し、跡を長男の忠胤が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 毛利就隆の娘
子女