酒井忠全
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化12年(1815年) |
死没 | 文化14年11月3日(1817年12月10日) |
改名 | 左京(幼名)、忠全 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 播磨姫路新田藩主 |
氏族 | 酒井氏(雅楽頭家分家) |
父母 | 父:酒井忠質、母:不詳 |
妻 | なし |
子 | なし |
酒井 忠全(さかい ただやす)は、播磨国姫路新田藩の第3代(最後)の藩主。
略歴
[編集]文化12年(1815年)、第2代藩主・酒井忠質の子として生まれる。翌文化13年(1816年)、父が死去したため家督を継いだ。しかし文化14年(1817年)11月3日に死去した。享年3。嗣子がいるはずもなく、姫路新田藩は完全に廃藩となった(幕末の動乱関連(反逆勢力への加担行為)で取り潰された2藩を除けば、最後の大名の改易となった)。