酒井忠克
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酒井忠克 さかい ただたえ | |
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生年月日 | 1883年11月2日 |
出生地 |
日本 東京府 (現・東京都) |
没年月日 | 1939年6月17日(55歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科大学修了 |
前職 | 中央失業対策委員会委員 |
所属政党 | 研究会 |
称号 |
正四位 帝都復興記念章 |
配偶者 | 酒井喜美子 |
子女 |
長女・西四辻三枝子 長男・酒井忠博 次女・岩崎小枝子 三女・松平香枝子 四女・住友寿枝子 次男・酒井忠武 |
親族 |
父・酒井忠道(貴族院議員) 岳父・万里小路通房(貴族院議員) 大叔父・黒田和志(貴族院議員) 伯父・宗重望(貴族院議員) 再従弟叔父・宗武志(貴族院議員) 従兄・伊東祐弘(貴族院議員) |
選挙区 | (伯爵議員) |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1925年7月10日 - 1939年6月17日 |
酒井 忠克(さかい ただたえ、1883年〈明治16年〉11月2日[1] - 1939年〈昭和14年〉6月17日[1])は、日本の宮内官僚、政治家、華族。貴族院伯爵議員。
経歴
[編集]東京府出身。伯爵・酒井忠道の二男として生まれる[1][2]。1906年(明治39年)学習院高等科を卒業し、さらに東京帝国大学法科大学を修了[2][3]。父・忠道の死去に伴い、1920年(大正9年)3月10日、家督を相続し伯爵を襲爵した[1][4]。
1914年(大正3年)以降、主猟官、式部官兼主猟官、中央失業対策委員会委員などを務めた[3]。
1925年(大正14年)7月10日、貴族院伯爵議員に選出され[5]、研究会に属して死去するまで在任した[3][6]。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 酒井忠道 |
伯爵 (小浜)酒井家第2代 1920年 - 1939年 |
次代 酒井忠博 |