酒井忠亮
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酒井 忠亮(さかい ただあき、明治3年閏10月2日(1870年11月24日) - 昭和3年(1928年)8月1日)は、明治時代から昭和時代前期の華族。忠稠系小浜藩酒井家別家、越前国敦賀藩第8代藩主・酒井忠経の長男。幼名は松之助。正室は松平康英の娘鉚。子は酒井忠英、義男。
経歴
[編集]東京に生まれ、明治17年(1884年)7月8日の華族令により子爵となる。学習院高等科、帝国大学法科を卒業。明治34年(1901年)8月2日、補欠選挙で貴族院議員に選出され[1]、研究会に属し常務委員を務めた。
大正2年(1913年)3月15日、伯剌西爾(ブラジル)拓殖株式会社が設立され、取締役会長となる。東華生命保険、東北電力、横浜倉庫の社長を務めたほか[2]、横浜正金銀行、高砂商事、海外興産等の役員を務めた。昭和3年(1928年)、59歳で死去した。子の忠英が跡を継いだ。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『日本人名大辞典』講談社。
- 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』日外アソシエーツ、2003年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 (敦賀)酒井家初代 1884年 - 1928年 |
次代 酒井忠英 |