コンテンツにスキップ

酒井忠亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

酒井 忠亮(さかい ただあき、明治3年閏10月2日1870年11月24日) - 昭和3年(1928年8月1日)は、明治時代から昭和時代前期の華族。忠稠系小浜藩酒井家別家、越前国敦賀藩第8代藩主・酒井忠経の長男。幼名は松之助。正室は松平康英の娘鉚。子は酒井忠英、義男。

経歴

[編集]

東京に生まれ、明治17年(1884年)7月8日の華族令により子爵となる。学習院高等科帝国大学法科を卒業。明治34年(1901年)8月2日、補欠選挙で貴族院議員に選出され[1]研究会に属し常務委員を務めた。

大正2年(1913年)3月15日、伯剌西爾(ブラジル)拓殖株式会社が設立され、取締役会長となる。東華生命保険東北電力横浜倉庫の社長を務めたほか[2]横浜正金銀行、高砂商事、海外興産等の役員を務めた。昭和3年(1928年)、59歳で死去した。子の忠英が跡を継いだ。

栄典

[編集]
位階
勲章等

脚注

[編集]
  1. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、11頁。
  2. ^ 酒井忠亮『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  3. ^ 『官報』第3746号「叙任及辞令」1895年12月21日。
  4. ^ 『官報』第1024号「叙任及辞令」1915年12月29日。
  5. ^ 『官報』第3755号「叙任及辞令」1925年3月2日。
  6. ^ 『官報』第488号「叙任及辞令」1928年8月11日。

参考文献

[編集]
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『日本人名大辞典』講談社。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』日外アソシエーツ、2003年。


日本の爵位
先代
叙爵
子爵
敦賀酒井家初代
1884年 - 1928年
次代
酒井忠英