足寄郡
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足寄郡(あしょろぐん)は、北海道(釧路国)十勝総合振興局の郡。
人口8,099人、面積2,016.94km²、人口密度4.02人/km²。(2024年10月31日、住民基本台帳人口)
以下の2町を含む。
郡域
[編集]1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町から足寄町の一部(概ね平和・共栄町・上利別・上利別本町・大誉地を除く利別川以東)、陸別町の一部(トマム)を除いた区域にあたる。
歴史
[編集]郡発足までの沿革
[編集]江戸時代の足寄郡域は、松前藩によって開かれたクスリ場所に含まれた。
江戸時代後期、足寄郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年足寄郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して足寄郡が置かれた。開拓使公文録では足寄に「アシヨセ」と訓が付されていたが、後に現在の「あしょろ」の読みとなった。
その他、古くから雌阿寒温泉が知られていた。
郡発足以降の沿革
[編集]- 明治2年
- 明治3年
- 明治4年6月 - 再び開拓使の管轄となる。
- 明治5年
- 明治8年(1875年)- 足寄村、螺湾村が成立。
- 明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区
- 第24大区
- 6小区 : 淕別村、利別村、足寄村、螺湾村
- 第24大区
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての足寄郡が発足。
- 明治13年(1880年)7月 - 厚岸郡外六郡役所(厚岸釧路白糠阿寒足寄川上網尻郡役所)の管轄となる。
- 明治14年(1881年)7月8日 - 厚岸郡外五郡役所(厚岸釧路白糠阿寒足寄川上郡役所)の管轄となる。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により根室県の管轄となる。
- 明治18年(1885年)5月 - 釧路郡外四郡役所(釧路白糠足寄阿寒川上郡役所)の管轄となる。
- 明治19年(1886年)
- 明治20年(1887年)6月 - 釧路郡外十一郡役所(釧路阿寒白糠足寄川上広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。
- 明治22年(1889年)1月 - 釧路郡外十郡役所(釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。
- 明治24年(1891年)3月 - 釧路郡外十二郡役所(釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川厚岸川上郡役所)の管轄となる。
- 明治30年(1897年)
- 大正11年(1922年)8月1日 - 釧路支庁が釧路国支庁に改称。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、以下の町村が発足。(2村)
- 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
- 昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道釧路国支庁の管轄となる。
- 昭和23年(1948年)10月20日 - 十勝支庁の管轄となる。
- 昭和24年(1949年)8月1日 - 淕別村が改称して陸別村となる。
- 昭和26年(1951年)4月1日 - 陸別村が中川郡西足寄町の一部(字斗満の一部、63m2、252戸、1,863人)を編入。
- 昭和28年(1953年)9月18日 - 陸別村が町制施行して陸別町となる。(1町1村)
- 昭和30年(1955年)4月1日 - 足寄村が中川郡西足寄町と合併して足寄町が発足。(2町)
- 平成22年(2010年)4月1日 - 十勝支庁が廃止され、十勝総合振興局の管轄となる。