足利豊
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 秋田県秋田市 |
生年月日 | 1968年10月15日(56歳) |
身長 体重 |
177 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1990年 ドラフト5位 |
初出場 |
NPB / 1991年5月29日 CPBL / 1999年8月27日 |
最終出場 |
NPB / 1995年8月26日 CPBL / 1999年10月24日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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足利 豊(あしかが ゆたか、1968年10月15日 - )は、秋田県秋田市河辺戸島出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]父も叔父も兄も野球経験者という環境に生まれ、幼少の頃から野球少年となった[1]。ドカベンの山田太郎に憧れて捕手になりたかったが、戸島小学校3年生の時に入った野球部の監督によってアンダースローの投手となっている[1]。4年生で早くも公式戦に登板し、5年生の時にはチームを県大会準優勝に導くなど、下手から浮き上がる直球を武器に頭角をあらわした[1]。
県内の強豪校である金足農業高に進み、1年夏にチームは選手権大会に出場。他校のアンダースロー投手対策のため、打撃投手としてレギュラーに帯同している[1]。2年生でエースとなったが、チームの打撃力が弱かった事もあり再び甲子園に進む事はなかった[2]。
在学中に球威を社会人野球やプロの球団から評価され[1]、卒業後は社会人野球の新日本製鐵釜石に進む。1988年の都市対抗野球にNTT東北の補強選手として出場。1回戦でリリーフ登板するが、本田技研の雨堤治久、金子誠一に連続本塁打を喫し敗退。
チームの休部にともない1989年には同系列の新日本製鐵名古屋に移籍。1989年の都市対抗野球は西濃運輸の補強選手として、チームの準々決勝進出に貢献。五輪代表の候補になるなど高い評価を受け[1]、1990年のドラフトでダイエーから5位で指名を受けて入団した。
プロ2年目の1992年には7月8日の対ロッテ戦で完封で初勝利を飾る[3]など5勝を挙げ、年俸は780万円増の1,500万円(推定)となった[4]。
翌1993年のキャンプでは同郷、新日鉄釜石の先輩でアンダースローだった山田久志からシンカーを直伝され[5]、20試合に先発して自身唯一の一軍年間規定投球回数をクリア、西武から4勝を挙げて西武キラーと呼ばれた[1]。しかし同年に肩を痛め[2]、さらに1994年は脇腹と股関節を痛めて二軍での調整が続いたが、6月のワールド・ベースボール・ウイーク・イン・ジャパン第4戦でダイエー二軍の先発として登板し、キューバ相手に3安打無四球で完投勝利を挙げている[6]。
その後は首脳陣との相性もあって出番が少なく[2]1997年オフに自由契約となり、ダイエー時代のコーチであった権藤博監督が就任した横浜の入団テストを受け合格。しかし翌年は再び肩を痛めて登板機会がないまま退団し[2]、シカゴ・カブスのテストを受験するも合格はならなかった[2]。
1999年のシーズン途中から台湾リーグの三商タイガースにてプレーし、7試合で2セーブを記録[2]。不況の影響でチームが解散した[2]こともあり、同年をもって現役を引退した。
引退後は、スポーツDEPO太宰府インター店に勤務している[7]。
プレースタイル
[編集]1990年代前半のNPBでは希少なアンダースローだった[8]。速球は最速130km/h台前半ながら、90km/h台のカーブを織り交ぜて緩急をつけていた[3]。他にはシンカーも投げていた。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1991 | ダイエー | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 87 | 20.0 | 21 | 1 | 9 | 0 | 1 | 10 | 0 | 0 | 11 | 11 | 4.95 | 1.50 |
1992 | 32 | 10 | 3 | 2 | 0 | 5 | 5 | 0 | -- | .500 | 435 | 102.1 | 105 | 11 | 28 | 1 | 4 | 57 | 0 | 0 | 51 | 48 | 4.22 | 1.30 | |
1993 | 24 | 20 | 6 | 0 | 0 | 6 | 13 | 1 | -- | .316 | 636 | 142.1 | 152 | 18 | 57 | 0 | 8 | 65 | 1 | 0 | 71 | 67 | 4.24 | 1.47 | |
1994 | 13 | 5 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | -- | .500 | 158 | 37.0 | 38 | 5 | 11 | 0 | 0 | 22 | 0 | 0 | 16 | 16 | 3.89 | 1.32 | |
1995 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 10 | 1.1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 5 | 5 | 33.75 | 3.75 | |
1999 | 三商 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | -- | ---- | 57 | 13.2 | 11 | 0 | 1 | 0 | 3 | 13 | 0 | 0 | 4 | 2 | 1.32 | 0.88 |
NPB:5年 | 81 | 35 | 9 | 2 | 0 | 13 | 20 | 1 | -- | .394 | 1326 | 303.0 | 321 | 35 | 105 | 1 | 14 | 155 | 1 | 0 | 154 | 147 | 4.37 | 1.41 | |
CPBL:1年 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | -- | ---- | 57 | 13.2 | 11 | 0 | 1 | 0 | 3 | 13 | 0 | 0 | 4 | 2 | 1.32 | 0.88 |
記録
[編集]- 初登板:1991年5月29日、対西武ライオンズ7回戦(平和台野球場)、7回表から3番手で救援登板、1回1失点
- 初先発登板:1992年7月2日、対近鉄バファローズ11回戦(日本生命球場)、6回2失点で敗戦投手
- 初勝利・初完投・初完封:1992年7月8日、対千葉ロッテマリーンズ16回戦(平和台野球場)
- 初セーブ:1993年6月13日、対千葉ロッテマリーンズ11回戦(福岡ドーム)、8回表1死から3番手で救援登板・完了、1回2/3無失点
背番号
[編集]- 52 (1991年 - 1997年)
- 64 (1998年)
- 17 (1999年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 足利豊 - NPB.jp 日本野球機構
- 中華職業棒球大聯盟(足利豐)