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西螺線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西螺線 駅・施設・接続路線
濁水渓
numN000 hKRZW
西螺大橋/県道145号
南北平行予備線(水尾線)
hLSTR uexSHI1 r
hLSTR uexBHF
西螺
uexBHF3
埔心
uexSTRc2 emhKRZ3 1 uexSTRc4
永定厝
uexBHF 1
二崙
uexBHF hLSTR
←崙背線
uexABZg r hLSTR
湳仔村
uexBHF hLSTR
新虎尾渓
uexhKRZWae hKRZW
uexABZgl emhKRZ uexSTR r
↓旧線(-1934)
中部科学園区
(雲林駅)
←北渓厝線
uexABZg r
墾地
uexBHF
(旧虎尾空軍基地)
馬公厝線、龍巖線
uxABZg r hSTR uexLSTR
北渓厝
ueBHF hSTR uexLSTR
台湾高速鉄道
umKRZh hSTRr uexLBHF
(埒内)
廉使
ueBHF uexLSTR
北港線
ueABZg r uexLSTR
虎尾
ueKBHFxe WORKS uexSTR
虎尾糖廠
斗南線
uexABZgl uexSTRq uexABZqr
→莿桐線
虎尾鉄橋
uexhKRZWae
虎尾渓
戦前の虎尾郡周辺路線図
拡大
拡大

Clip
戦前の虎尾郡周辺路線図

西螺線(せいらせん、シーレイシェン)はかつて台湾雲林県虎尾鎮西螺鎮を結んでいた台湾糖業鉄道路線虎尾糖廠中国語版が運営していた。

2017年蔡英文政権における公共インフラ投資事業『前瞻基礎建設計画』で当路線の一部と馬公厝線斗南線を復活させ、台湾高速鉄道雲林駅虎尾駅斗南駅方面へ直結する観光鉄道計画が始動している[1]

路線データ

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沿革

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元は現在の雲林県濁水渓南岸一帯に開発された大日本製糖(日糖)によるサトウキビ農園と[2](p38)、虎尾製糖所の輸送を兼ねた貨客混合輸送から開始した。最初の10年(1910-1919年)で旅客数は10倍以上となり、1日平均約1,000人(年間約35万人)の輸送人員があったが、1920年以降は総督府の私設鉄道政策による過当競争や物価上昇に伴う運送費用増加、乗合バスの台頭で大きく落ち込んだ[2](pp55-57)1930年代になると国際観光局による観光旅行が推奨され、1935年台湾博覧会に合わせて日本人の渡航者向けに官鉄(総督府鉄道)との周遊切符が発売されるようになり、沿線でも西螺街、虎尾街などが行楽地として日本語でも紹介され、北港朝天宮1938年の皇民化政策本格化までは参拝客で賑わうようになったが、輸送人員の凋落は止まらず、1937年には10万人強まで減少した[2](pp76)、。日中戦争の激化で台湾でもガソリンの統制が始まり、自動車輸送が縮小するのを尻目に1941年には40万人を超えるなど再度ピークを迎えた[2](p81)

農産物輸送では初期は濁水渓の氾濫などで収穫量自体の変動が大きかったが、第一次世界大戦に伴う穀物価格の高騰で輸送量が増大、1919年にはピークを迎え西螺・北港・斗南の日糖3線で28,017トンに達した。1930年代の自動車の台頭でその後21,773トンまで大きく落ち込んだが、蓬萊米の日本への旺盛な輸出需要でコメ輸送に限ると1939年に40,000トンを記録するなど急成長を遂げた[2](pp61-62)

その他にも1920年代は嘉南大圳整備のため、1930年代は道路整備に伴って砂利石輸送専用線が整備されるなど貨物輸送は多角化していった[2](pp72-73)

1943年日本軍陸軍中将だった遠藤三郎の提唱により、日本軍は台湾を不沈空母とすべく濁水渓流域に3つの飛行場を整備した。当路線付近に虎尾飛行場(戦後の虎尾空軍基地中国語版)が建設され、戦時中は軍事輸送も担うことになった。サトウキビから精製されるエタノールの生産も盛んだったが、戦時体制により軍事物資として1930年代で2倍以上に増産された。また、砂利運搬も飛行場造成のため再び急増することになった[2](pp82-86)

戦後は空襲で壊滅的打撃を受けた虎尾・渓州・渓湖の工場も1947年末に再建され、当路線も台糖の管轄下となった[2](p91)中華民国政府の要請で南北平行予備線の計画が始動すると、北方で西螺大橋を含む4kmの新線竣工により渓墘厝で渓州糖廠田林線と連結された[3]。旅客輸送もバス事業者の台西客運中国語版との競争で劣勢になり1970年で旅客営業が休止となった。貨物輸送もモータリゼーションの発達に抗えず、斗南線虎尾鉄橋流失など数々の水害も重なったこともあり、1979年に西螺大橋区間で、1984年には西螺線区間でも軌道を撤去し虎尾糖廠の営業範囲を縮小していった[2](pp113-117)

年表

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駅一覧

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旧ルート

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駅名 駅間
キロ
虎尾
からの
営業
キロ
[12]
接続路線・備考 所在地
日本語 繁体字中国語 英語
西

虎尾駅 虎尾車站 Huwei 0.0 0.0 北港線斗南線
(専用線)馬公厝線竹圍線
虎尾鎮 雲林県
埒内駅 埒內車站 Rachinai
(Lenei)
3.6 3.6 1916年11月17日開業
田尾駅 田尾車站 Dempi
(Tianwei)
4.2 7.8 崙背線
1911年9月10日開業
二崙郷

新ルート

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駅名 駅間
キロ
虎尾
からの
営業
キロ
[13]
(下段は
1934年
まで[12])
接続路線・備考 所在地
日本語 繁体字中国語 英語


虎尾駅 虎尾車站 Huwei 0.0 0.0 北港線斗南線崙背線南北平行予備線
(専用線)馬公厝線竹圍線
虎尾鎮 雲林県
虎尾糖廠 虎尾糖廠 Huwei Sugar Factory
後壁寮駅[14] 後壁寮招呼站 Houbiliao 1.2 1.2
馬公厝線起点 北港線と分離
西

廉使駅 廉使招呼站 Lianshi 0.9 2.1 崙背線、高鉄雲林への連絡線(計画中)
北渓厝駅[15][16] 北溪厝招呼站 Beixicuo 1.1 3.2 旧称:小野澤
馬公厝線、龍巖線、崙背線
墾地駅 墾地車站 Kendi 1.5 4.7 崙背線
湳仔村駅 湳仔村車站 Nanzai Village 2.8 7.5
(7.8)
旧称:田尾
1911年9月10日開業
崙背線
二崙郷
二崙駅 二崙車站 Erlun 2.6 10.1
(10.4)
旧称:二崙仔
1911年9月10日開業
永定厝駅[17] 永定厝車站 Yongdingcuo 2.0 12.1
(12.4)
1927年8月9日開業
埔心駅 埔心車站 Puxin 2.0 14.1 西螺鎮
西螺駅 西螺車站 Xiluo 1.5 15.6
(15.9)
西螺南州線(水尾線、南北平行予備線)
1911年9月10日開業

脚注

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  1. ^ (繁体字中国語)糖鐵.再啟航 虎糖再啟航 台糖通訊 2017年7月号
  2. ^ a b c d e f g h i (繁体字中国語)濁水溪下游的糖業鐵道之興衰(1907-1970)”. 国立台湾図書館 (2016年8月). 2018年9月23日閲覧。
  3. ^ (繁体字中国語)戰後臺糖南北線鐵道的興建與變遷2007-06-01,国立台湾図書館
  4. ^ 大日本製糖株式會社鐵道西螺線運輸營業開始許可1911-09-21,官報第8477号台湾総督府告示第146号/国立国会図書館
  5. ^ 官報第365号台湾総督府告示第169,170号1912-12-14,国立国会図書館
  6. ^ (繁体字中国語)件名:大日本製糖株式會社鐵道中乘降場增設1916-11-19,台湾総督府報第1157号告示第124号/中央研究院
  7. ^ (繁体字中国語)件名:大日本製糖株式會社鐵道停車場設置1927-08-16,国史館台湾文献館
  8. ^ (繁体字中国語)件名:私設鐵道營業規程制定及變更1934-11-28,国史館台湾文献館
  9. ^ (繁体字中国語)臺灣糖業鐵道的現況與展望 許乃懿(台灣千里步道協會)
  10. ^ (繁体字中国語)有水、有糖、有街一 溪州鄕文史導覽手冊 社區通/文化部
  11. ^ (繁体字中国語)張素玢 (2015-08). 新修西螺鎮誌>第01篇歷史沿革與拓殖>西螺鎮大事記. 西螺鎮公所. p. 33. ISBN 9789860452464. http://www.hsilo.gov.tw/西螺鎮誌/第01篇歷史沿革與拓殖/1-1西螺鎮大事記.pdf  2013-11-06
  12. ^ a b 鉄道省 (1935-03-27). 鉄道停車場一覧. 昭和9年12月15日現在. 川口印刷所出版部. p. 470. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1212697  国立国会図書館
  13. ^ (繁体字中国語)臺灣鐵道站名及里程 街貓的鐵道網站
  14. ^ (繁体字中国語)台灣糖業公司虎尾總廠建物履歷表(I034) 中央研究院 數位文化中心
  15. ^ (繁体字中国語)台灣糖業公司虎尾總廠建物履歷表(I015) 中央研究院 數位文化中心
  16. ^ (繁体字中国語)台灣糖業公司虎尾總廠建物履歷表(L009) 中央研究院 數位文化中心
  17. ^ (繁体字中国語)台灣糖業公司虎尾總廠建物履歷表(I019) 中央研究院 數位文化中心

関連項目

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外部リンク

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