蕭子岳
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蕭 子岳(しょう しがく、永明3年(485年)- 永泰元年1月25日[1](498年3月3日))は、南朝斉の皇族。臨賀王。武帝蕭賾の十六男。字は雲嶠。
経歴
[編集]蕭賾と江淑儀のあいだの子として生まれた。永明7年(489年)3月、臨賀王に封じられた。明帝が武帝の諸子を殺害し、子岳と弟の6人のみが在世しており、当時に七王と呼ばれていた。子岳は月に2回入朝していたが、あるとき明帝が後宮に帰ると、「わたしと司徒の子どもたちはみな幼いのに、高帝と武帝の子孫は日に日に成長していく」と嘆息した。
永泰元年(498年)正月、明帝の病が重くなり、恢復の望みを失うと、子岳は明帝の命により弟たちとともに殺害された。享年は14。
脚注
[編集]- ^ 『南斉書』巻6, 明帝紀 永泰元年正月丁未条による。