コンテンツにスキップ

結城氏広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
結城氏広
時代 室町時代後期
生誕 宝徳3年(1451年
死没 文明13年3月29日1481年4月27日
別名 輝朝
幕府 室町幕府
主君 足利成氏
氏族 結城氏
父母 結城長朝
養父:結城成朝
小田持家
政朝
テンプレートを表示

結城 氏広(ゆうき うじひろ)は、室町時代後期の武将下総結城氏14代当主。

略歴

[編集]

宝徳3年(1451年)、11代当主・結城氏朝の子・結城長朝の子として誕生。

寛正3年(1463年)、13代当主・結城成朝多賀谷氏家の弟・朝経に暗殺されると、朝経は結城基景山川景貞の子)の擁立を図るが、基景が19歳で急死したために、かつて成朝との家督争いに敗れた成朝の兄・長朝の子である氏広が擁立された。

享徳3年(1455年)からの享徳の乱古河公方足利成氏関東管領上杉氏とが対立すると、結城氏は成氏方に味方し、当主である氏広も成氏方の将として転戦し、古河城が一時陥された際は、千葉孝胤那須資実らと共に成氏に協力し、古河城回復を援護している。しかし、多賀谷氏山川氏水谷氏が独立色を強めた活動をしたため、家中の統一が図れないまま、文明13年(1481年)に死去。享年31。

家督は子・政朝が継いだ。