コンテンツにスキップ

紳士録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

紳士録(しんしろく)とは、社会的地位のある人々の氏名、住所、経歴、職業、趣味、家族関係などを収録した名簿のことである[1][2]。人名録、人名事典の一種。名士録とも言う[3]。「Who's Who」や「人名年鑑」とされていることもある。

概要

[編集]

生年月日と出身地、最終学歴はもちろん、刊行時点での居住地、場合によっては家族情報や趣味などの個人情報が記されていることもある。

1849年にイギリスのA.& C.ブラック (A & C Black社から創刊された『Who's Who』が最初のもので、日本では1889年(明治22年)の『日本紳士録』(交詢社)が最も古く、次に1903年(明治36年)の『人事興信録』(人事興信所)がある[2]。詐欺グループが掲載料や解除料を要求する紳士録商法や、2005年に施行された個人情報保護法などの影響により『日本紳士録』は2007年で休刊した[4]。『人事興信録』も2009年に廃刊となった[5]

なお国際的な紳士録としては、アメリカのNew Communications inc.による『Marquis Who's Who』等がある。

日本紳士録

[編集]

1889年(明治22年)に福沢諭吉の提唱で設立された社交団体「交詢社」が納税額を基準に著名人約2万3000を掲載して発行を始めた[6]。巻末には東京を中心とした職業別姓名録なども付された[7]。3年後には東京横浜に京阪その他を含めた約3万3000人を収録して第二版を出版[6]、以後版を重ねた。高山樗牛は所得税が基準では紳士と謳ったところで高利貸しや博徒も入っており、国民の拝金根性を露呈するものとして批判した[8]

1971年(昭和46年)からは「交詢社出版局」が編集を続け、2000年(平成12年)ごろには掲載人数が過去最高の約14万人に達したが、2005年に紳士録などを利用した大型詐欺事件が摘発され、同年個人情報保護法の施行もあって掲載希望者が減り、2007年(平成19年)に第80版を最後に無期休刊となった[4][9]

人事興信録

[編集]

『人事興信録』は明治35年に人事興信所を設立した初代内尾直二(1876-1928[10])が「廣く人事調査の資料に供す」べく「編纂發行」したことに始まる[11][注釈 5]

2007年発行の第44版の時点で掲載人数は約8万人で、3〜4年前から掲載を断る人が増えており、10年前より約3割減ったという[4]。2009年発行の第45版で終刊した[14]

人事興信録は1948年の第15版の上下巻が国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる[15][16]が戦後直後ということもありページ数が激減しており戦前最後の版である1943年の第14版の方が豊富に情報が記載されている[17][18]

また1928年の第8版は名古屋大学によってオンラインデータベース化された[19]

関連項目

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 16版:う21,17版:う28,18版:う31,19版:う34,20版:う38,21版:う48,22版:う54,23版:う66,24版:う76,25版:う80
  2. ^ 16版:た86,17版:た118,18版:た122,19版:た132,20版:た143,21版:た173,22版:た211,23版:た275,24版:た280,25版:た294,26版:た303,27版:た311,28版:た317,29版:た315,30版:た308,31版:た309,32版:た309
  3. ^ 20版:た144,21版:た174,22版:た212,23版:た276,24版:た281,25版:た295,26版:た303,27版:た312,28版:た318,29版:た316,30版:た309,31版:た310,32版:た310,33版:た305,34版:た304,35版:た304,36版:た303,37版:た309,38版:た308
  4. ^ 19版:ま83,20版:ま88,21版:ま105,22版:ま126,23版:ま151,24版:ま161,25版:ま173,26版:ま175,27版:ま179,28版:ま183,29版:ま185,30版:ま181,31版:ま181,32版:ま183,33版:ま181,34版:ま180,35版:ま178,36版:ま178,37版:ま180,38版:ま178,39版:ま172,40版:ま165,41版:ま151,42版:ま134,43版:ま135,44版:ま131,45版:ま131に記載されている日刊工業新聞東京支社長、同論説委員長、経営心理研究所長[13]の松本順は同姓同名の別人と思われる
  5. ^ 初代直二自身も八版で興信録に人事興信所長として登載されそこには後に十版以降に発行人となる次男の直昌(後の二代目内尾直二)の存在も記されており、内尾の妻キクは15版う16に人事興信所常監・16版から25版[注釈 1]で監査役として、二代目直二は14版う47に社長として、15版から32版の発行人(16版からは社長)になる武内甲子雄(たけのうちかねお)(1898-1984[12])も14版う202と15版た61に人事興信所専務及び歯科医師として、16版から32版では社長及び歯科医師として[注釈 2]記載され、甲子雄の女婿で33版から38版の発行人兼社長の武内重雄も[注釈 3]記載されているが、9版の発行人松本順[注釈 4]と39版から45版の社長兼発行人の市村清二は一度も記載されていない。

出典

[編集]
  1. ^ 紳士録」『小学館『精選版 日本国語大辞典』』https://kotobank.jp/word/紳士録コトバンクより2023年6月25日閲覧 
  2. ^ a b 紀田順一郎「フーズ・フー」『平凡社世界大百科事典 第2版』https://kotobank.jp/word/フーズ・フーコトバンクより2023年6月25日閲覧 
  3. ^ フーズフー」『小学館『精選版 日本国語大辞典』』https://kotobank.jp/word/フーズフーコトバンクより2023年6月25日閲覧 
  4. ^ a b c 「日本紳士録」無期休刊へ 掲載辞退増で「使命終えた」”. 朝日新聞 (2007年4月29日). 20170804時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月25日閲覧。
  5. ^ 人物情報について調べる”. レファレンス協同データベース (2011年7月5日). 2023年6月25日閲覧。
  6. ^ a b 緒言
  7. ^ 日本紳士録. 第1版交詢社、明治22年
  8. ^ 紳士録 (博文館, 1899)
  9. ^ 交詢社版 「日本紳士録」 休刊のお知らせ”. 交詢社出版局 (2007年4月19日). 20070704時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月25日閲覧。
  10. ^ https://nagoya.repo.nii.ac.jp/record/25034/files/01_Tomoko-MASUD_Tomoya-SANO.pdf
  11. ^ 内尾直二『人事興信録』データペース、第8版 [昭和3(1928)年7月]
  12. ^ https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00318178
  13. ^ 45版ま131
  14. ^ 人物情報を探すには”. 東京都立中央図書館 (2017年3月). 2023年6月25日閲覧。
  15. ^ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2997934
  16. ^ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2997935
  17. ^ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704391
  18. ^ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1704455
  19. ^ https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/search/who8