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紀文幹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
紀 文幹
時代 平安時代中期
生誕 不明
死没 天慶7年9月2-3日944年9月21-22日
信濃国筑摩郡信濃国府(現・長野県松本市?)
官位 従五位下信濃守
主君 朱雀天皇
氏族 紀氏
父母 父:紀淑光
兄弟 文煥、文利、文実、文幹、文慶、文相、文輔
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紀 文幹(き の ふみもと)は、平安時代中期の貴族歌人参議紀淑光の子。官位従五位下信濃守

経歴

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天慶7年(944年9月2日9月3日の夜、信濃国国司(信濃守)として下向したが、到着した当日は暴風雨が吹き荒れており、国衙が倒壊し、その下敷きとなり圧死した[1]。最終官位従五位下信濃守松本市大村に、文幹の墓とされる「国司塚」が残る[2]

拾遺和歌集』春の部に承平4年(934年)詠じた屏風の歌一首が掲載されている[3]

官暦

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  • 天慶元年(938年)5月1日:見式部丞?[4]
  • 天慶7年(944年):信濃守。9月2-3日:卒去

脚注

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  1. ^ 日本紀略』天慶7年9月2日条、『扶桑略記』天慶7年9月3日条
  2. ^ 神沢, 昌二郎『推定信濃国府』 56巻長野県松本市丸の内3-7〈松本市文化財調査報告〉、1987年3月30日(原著1987年3月30日)、1頁。doi:10.24484/sitereports.8129NCID BA4184667Xhttps://sitereports.nabunken.go.jp/8129 
  3. ^ 巻1。日文研和歌データベース, 異同資料句番号:00002
  4. ^ 清慎公記