第27軍 (日本軍)
表示
第27軍 | |
---|---|
創設 | 1944年(昭和19年)3月16日 |
廃止 | 1945年(昭和20年)2月1日 |
所属政体 | 大日本帝国 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 軍 |
所在地 | 千島列島 |
通称号/略称 | 北部 |
最終上級単位 | 第5方面軍 |
最終位置 | 択捉島 |
戦歴 | 第二次世界大戦 |
日本陸軍の第27軍(だいにじゅうななぐん)は、第2次世界大戦中の1944年3月から1945年1月まで、千島列島の防衛にあたった軍である。
編成から廃止まで
[編集]第27軍の編成が決められた1944年(昭和19年)2月は、日本軍が南方のガダルカナルで敗れ、北方でアッツ島の戦いを経て、守勢に回ってからおおよそ半年後、連合軍の反攻に備えて防衛体勢を固めていた時期である。北海道・千島では、対アメリカ、対ソ連どちらにおいても大規模な攻撃は予想されていなかったが、部隊数は充実しつつあった。
1944年2月18日の軍令甲第22号により、上級の第5方面軍司令部とともに第27軍司令部の臨時編成が命じられた[1]。第5方面軍は北部軍を改称するもので、札幌に司令部を置いて北海道・樺太・千島という広域の北方防衛任務をそのまま引き継ぐ。うち千島防衛の指揮を、現地に司令部を置く新設の第27軍に任せる計画である。3月16日に第5方面軍と第27軍の戦闘序列が定まり、軍としての活動を開始した[1]。
第27軍が発足した頃、連合軍の本格反攻はマーシャル諸島でまさに始まりつつあった。その後、連合軍は年内にフィリピンに達し、1945年初めには南からの本土上陸の可能性が高まってきた。
1945年(昭和20年)1月22日発令の大陸命第1229号により、第27軍の戦闘序列は解かれ、所属部隊は第5方面軍に直属することになった[2]。第27軍は、2月1日付で廃止された。軍司令部だけは本州に移していったん東部軍司令官の隷下に置き、次いで新編成の第11方面軍司令部兼東北軍管区司令部にあてられた[2]。
軍概要
[編集]- 通称号:北部
- 編成時期:1944年3月16日
- 最終位置:択捉島
- 上級部隊:第5方面軍
歴代司令官
[編集]- 寺倉正三 中将:1944年3月10日 - 1945年2月1日
歴代参謀長
[編集]- 鈴木敬司 少将:1944年3月10日 - 1945年2月1日
最終司令部構成
[編集]最終所属部隊
[編集]直轄部隊
[編集]- 独立速射砲第13中隊
- 独立速射砲第14中隊
- 独立速射砲第17中隊
- 独立速射砲第31中隊
- 独立機関銃第6大隊
- 独立機関銃第23大隊
- 独立臼砲第15大隊
- 独立臼砲第16大隊
- 独立臼砲第18大隊
- 独立臼砲第19大隊
- 独立野戦高射砲第23中隊
- 野戦機関砲第62中隊
- 野戦機関砲第66中隊
- 野戦機関砲第67中隊
- 陸上勤務第91中隊
- 要塞陸上勤務第7中隊
- 要塞建築勤務第9中隊
- 千島第3陸軍病院