第2特科連隊
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第2特科連隊 | |
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第2大隊の99式自走155mmりゅう弾砲 | |
創設 | 1954年(昭和29年)7月1日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 特科 |
兵種/任務 | 自走砲 |
所在地 | 北海道、旭川市 |
編成地 | 旭川 |
上級単位 | 第2師団 |
担当地域 | 道北 |
第2特科連隊(だいにとっかれんたい、JGSDF 2nd Artillery Regiment(Mechanized))は、北海道旭川市の旭川駐屯地に駐屯する第2師団隷下の野戦特科(砲兵)部隊である。
概要
[編集]連隊本部、本部中隊、情報中隊及び5個特科大隊で編成され、連隊長は1等陸佐。第2特科大隊が名寄駐屯地、第4特科大隊が上富良野駐屯地に駐屯している。警備担任区域は旭川市、深川市、上川町、沼田町、幌加内町など2市15町である[1]。
なお、同連隊は陸上自衛隊で数少ない自走砲化している(車両は全て無限軌道付き)部隊である。かつては16個射撃中隊火砲最大80門を有する陸上自衛隊最大の野戦特科部隊であった。
沿革
[編集]第62連隊
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)
- 1953年(昭和28年)1月16日:連隊本部及び本部中隊、第4大隊、第5大隊が恵庭駐屯地から旭川駐屯地に移駐。
- 1954年(昭和29年)5月15日:第62連隊第2大隊が秋田駐屯地から名寄駐屯地に移駐。
第2特科連隊
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)9月1日:連隊主力(第2大隊を除く)が上富良野駐屯地に移駐。
- 1962年(昭和37年)
- 1月18日:師団改編に伴い、第4大隊が第5大隊に、第5大隊が第6大隊(高射特科)に改編。第2大隊(名寄駐屯地)を母体に第4大隊が新編。
- 3月7日:連隊主力(第2、第4大隊欠)が旭川駐屯地へ移駐。
- 1972年(昭和47年)3月24日:35mm2連装高射機関砲 L-90配備に伴い、第6大隊を改編。
- 1979年(昭和54年)3月26日:部隊改編。
- 本部中隊を改編し、情報中隊が新編。
- 第5大隊第12射撃中隊を廃止して多連装ロケット中隊(75式130mm自走多連装ロケット弾発射機装備)が新編。
- 75式自走155mmりゅう弾砲が配備。
- 1982年(昭和57年)3月25日:第2、第4大隊(名寄駐屯地)に75式自走155mmりゅう弾砲が配備。
- 1983年(昭和58年)3月24日:各大隊に75式自走155mmりゅう弾砲が完全充足。各射撃中隊に5門が配備、1個大隊は15門の配備。
- 1984年(昭和59年)3月26日:82式指揮通信車が配備。
- 1986年(昭和61年)3月25日:第6大隊に81式短距離地対空誘導弾が配備。
- 1988年(昭和63年)3月25日:第6大隊(高射特科)が第2高射特科大隊として分離独立し、師団直轄となる。
- 1995年(平成 7年)3月28日:
- 2003年(平成15年)3月27日:第5特科大隊を改編。多連装ロケットを廃止し、各射撃中隊の装備を75式自走155mmりゅう弾砲に換装。
- 2008年(平成20年)3月26日:部隊改編。
- 第1特科大隊に99式自走155mmりゅう弾砲を配備。第3射撃中隊を廃止し、2個射撃中隊編成となる。
- 後方支援体制変換に伴い、整備部門を第2後方支援連隊第2整備大隊特科直接支援中隊へ移管。
- 2009年(平成21年)3月26日:第2特科大隊に99式自走155mmりゅう弾砲を配備。第4射撃中隊、第5射撃中隊および第6射撃中隊を廃止し、第3射撃中隊および第4射撃中隊を再編し編成完結。
- 2010年(平成22年)3月26日:第3特科大隊に99式自走155mmりゅう弾砲を配備。第7射撃中隊、第8射撃中隊および第9射撃中隊を廃止し、第5射撃中隊および第6射撃中隊を再編し編成完結。
- 2011年(平成23年)4月22日:第5特科大隊に99式自走155mmりゅう弾砲を配備。
- 2014年(平成26年)3月26日:部隊改編。11個射撃中隊編成へ縮小改編。完全フル化された[3]。
- 第4特科大隊に99式自走155mmりゅう弾砲を配備。第10射撃中隊、第11射撃中隊および第12射撃中隊を廃止し、第7射撃中隊および第8射撃中隊を再編し、常備化改編。
- 第5特科大隊の第13射撃中隊、第14射撃中隊、第15射撃中隊および第16射撃中隊を廃止し、第9射撃中隊、第10射撃中隊および第11射撃中隊を再編。
- 連隊本部直轄として教育隊が編成。教育隊長は副連隊長が兼務[4]。
部隊編成
[編集]- 第2特科連隊本部
- 第2特科連隊本部中隊「2特-本」:82式指揮通信車
- 情報中隊「2特-情」:対砲レーダ装置 JTPS-P16、対迫レーダ装置 JMPQ-P13
- 第1特科大隊
- 第1特科大隊本部
- 本部管理中隊「2特-1-本」:82式指揮通信車
- 第1射撃中隊「2特-1-1」:99式自走155mmりゅう弾砲、99式弾薬給弾車
- 第2射撃中隊「2特-1-2」
- 第2特科大隊(名寄駐屯地)
- 第2特科大隊本部
- 本部管理中隊「2特-2-本」:82式指揮通信車
- 第3射撃中隊「2特-2-3」:99式自走155mmりゅう弾砲、99式弾薬給弾車
- 第4射撃中隊「2特-2-4」:99式自走155mmりゅう弾砲、99式弾薬給弾車
- 第3特科大隊
- 第3特科大隊本部
- 本部管理中隊「2特-3-本」:82式指揮通信車
- 第5射撃中隊「2特-3-5」:99式自走155mmりゅう弾砲、99式弾薬給弾車
- 第6射撃中隊「2特-3-6」:99式自走155mmりゅう弾砲、99式弾薬給弾車
- 第4特科大隊(上富良野駐屯地)
- 第4特科大隊本部
- 本部管理中隊「2特-4-本」:82式指揮通信車
- 第7射撃中隊「2特-4-7」:99式自走155mmりゅう弾砲、99式弾薬給弾車
- 第8射撃中隊「2特-4-8」:99式自走155mmりゅう弾砲、99式弾薬給弾車
- 第5特科大隊
- 第5特科大隊本部
- 本部管理中隊「2特-5-本」:82式指揮通信車
- 第9射撃中隊「2特-5-9」:99式自走155mmりゅう弾砲、99式弾薬給弾車
- 第10射撃中隊「2特-5-10」:99式自走155mmりゅう弾砲、99式弾薬給弾車
- 第11射撃中隊「2特-5-11」:99式自走155mmりゅう弾砲、99式弾薬給弾車
整備支援部隊
[編集]- 第2後方支援連隊第2整備大隊特科直接支援中隊「2後支‐2整‐特」(旭川駐屯地):2008年(平成20年)3月26日から
- 第2直接支援小隊(名寄駐屯地):第2特科大隊を支援
- 第4直接支援小隊(上富良野駐屯地):第4特科大隊を支援
主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第2特科連隊長 | 1等陸佐 | 井上靖也 | 2024年 | 3月28日陸上幕僚監部装備計画部装備計画課 企画班長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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1 | 加藤保男 (1等警察正) |
1951年 | 5月 1日 - 1952年 8月22日遠軽駐とん地部隊長 | 保安隊特科学校副校長 兼 教官部長 |
2 | 塚本政登士 (1等警察正) |
1952年 | 8月23日 - 1954年 7月21日警察予備隊総隊学校学生隊所属 | 保安隊特科学校長 兼 習志野駐とん地司令 |
3 | 鳴川勝 | 1954年 | 8月10日 - 1956年 6月18日第1特科群副群長 | 第1特科連隊長 兼 宇都宮駐とん地司令 |
4 | 小林敬四郎 | 1956年 | 6月19日 - 1959年 7月31日第3特科連隊長 兼 姫路駐とん地司令 |
練馬駐とん地業務隊長 |
5 | 中村正人 | 1959年 | 8月 1日 - 1962年 7月31日普通科教導連隊勤務 | 富士教導隊長 兼 滝ヶ原分とん地司令 |
6 | 高橋正二 | 1962年 | 8月 1日 - 1965年 3月15日第2特科連隊副連隊長 →1963年7月1日 1等陸佐昇任 |
陸上自衛隊少年工科学校教育部長 |
7 | 内山隆 | 1965年 | 3月16日 - 1967年 3月15日防衛大学校教授 | 第9師団司令部幕僚長 |
8 | 末次千代二 | 1967年 | 3月16日 - 1969年 3月16日陸上自衛隊幹部学校教育部教務課長 | 陸上幕僚監部第5部特科班長 |
9 | 保科孝夫 | 1969年 | 3月17日 - 1971年 3月15日旭川駐とん地業務隊長 | 陸上自衛隊富士学校特科教育部 副部長 兼 同部教務課長 |
10 | 籃谷馨 | 1971年 | 3月16日 - 1973年 3月15日陸上自衛隊富士学校学校教官 | 朝霞駐とん地業務隊長 |
11 | 中島幹彦 | 1973年 | 3月16日 - 1974年 7月15日第12特科連隊副連隊長 | 陸上自衛隊調査学校研究員 |
12 | 岡島知一 | 1974年 | 7月16日 - 1976年 3月15日陸上自衛隊北海道地区補給処 総務部長 |
東部方面総監部総務課長 |
13 | 植村幸雄 | 1976年 | 3月16日 - 1978年 3月15日装備開発実験隊ロケット弾薬科長 | 第2教育団本部付 |
14 | 四本達夫 | 1978年 | 3月16日 - 1980年 7月31日装備開発実験隊火器科長 | 相馬原駐とん地業務隊長 |
15 | 青木月夫 | 1980年 | 8月 1日 - 1982年 8月 1日陸上幕僚監部付 | 陸上自衛隊富士学校学校教官 |
16 | 久保正佳 | 1982年 | 8月 2日 - 1984年 3月15日陸上幕僚監部人事部補任課 人事第1班長 |
陸上幕僚監部教育訓練部教育課長 |
17 | 宇野章二 | 1984年 | 3月16日 - 1985年 6月30日陸上幕僚監部人事部人事計画課 企画班長 |
北部方面総監部幕僚副長 (陸将補昇任) |
18 | 大野正義 | 1985年 | 7月 1日 - 1987年 7月31日陸上幕僚監部監理部総務課 監理班長 |
陸上自衛隊幹部学校学校教官 |
19 | 榎田等 | 1987年 | 8月 1日 - 1990年 3月15日陸上幕僚監部防衛部研究課 総括班長 |
自衛隊新潟地方連絡部長 |
20 | 鈴木隆郎 | 1990年 | 3月16日 - 1992年 8月 2日東部方面総監部防衛部防衛課長 | 陸上自衛隊幹部学校主任研究開発官 |
21 | 松川正昭 | 1992年 | 8月 3日 - 1994年 3月22日陸上幕僚監部防衛部運用課勤務 | 陸上幕僚監部防衛部運用課長 |
22 | 井村博 | 1994年 | 3月23日 - 1996年 3月24日防衛大学校訓練部訓練課長 | 北部方面総監部総務部長 |
23 | 別所利通 | 1996年 | 3月25日 - 1998年 3月25日東部方面総監部防衛部防衛課長 | 統合幕僚会議事務局第1幕僚室 企画調整官兼企画班長 |
24 | 三本明世 | 1998年 | 3月26日 - 1999年12月 9日陸上幕僚監部防衛部防衛課編成班長 | 陸上幕僚監部教育訓練部教育課長 |
25 | 松川史郎 | 1999年12月10日 - 2001年12月 | 2日陸上幕僚監部防衛部運用課 予備自衛官運用室長 |
陸上幕僚監部監理部総務課長 |
26 | 清道清二郎 | 2001年12月 | 3日 - 2003年11月30日東部方面総監部調査部調査課長 | 防衛大学校教授 |
27 | 村松秀明 | 2003年12月 | 1日 - 2005年 7月31日陸上幕僚監部監理部総務課 企画班長 |
陸上自衛隊富士学校企画室長 |
28 | 山本頼人 | 2005年 | 8月 1日 - 2006年 8月 3日陸上幕僚監部装備部装備計画課 企画班長 |
陸上幕僚監部運用支援・情報部 運用支援課長 |
29 | 吉永幸男 | 2006年 | 8月 4日 - 2008年 3月25日統合幕僚監部運用部運用第2課 訓練班長 |
統合幕僚監部総務部人事教育課 人事室長 |
30 | 大久保英樹 | 2008年 | 3月26日 - 2010年 7月31日統合幕僚学校研究室研究員 | 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 |
31 | 山坂泰明 | 2010年 | 8月 1日 - 2012年 7月31日東北方面総監部情報部情報課長 | 陸上自衛隊富士学校特科部教育課長 |
32 | 南浩 | 2012年 | 8月 1日 - 2014年11月30日陸上自衛隊富士学校主任教官 | 陸上自衛隊富士学校特科部副部長 |
33 | 前田尚男 | 2014年12月 | 1日 - 2017年 3月22日情報本部勤務 | 陸上自衛隊研究本部主任研究開発官 |
34 | 高橋洋二 | 2017年 | 3月23日 - 2019年 3月22日東部方面総監部防衛部訓練課長 | 自衛隊島根地方協力本部長 |
35 | 丸山徳一 | 2019年 | 3月23日 - 2022年 3月13日第1空挺団本部高級幕僚 | 陸上自衛隊富士学校特科部副部長 |
36 | 川口繁 | 2022年 | 3月14日 - 2024年 3月27日統合幕僚監部運用部運用第1課 防衛警備班長 |
西部方面総監部防衛部長 |
37 | 井上靖也 | 2024年 | 3月28日 -陸上幕僚監部装備計画部装備計画課 企画班長 |
主要装備
[編集]- 99式自走155mmりゅう弾砲
- 99式弾薬給弾車
- 82式指揮通信車(連隊本部及び各射撃大隊)
- 火力戦闘指揮統制システム(FCCS)
- 対砲レーダ装置 JTPS-P16
- 対迫レーダ装置 JMPQ-P13
- 78式雪上車
- 10式雪上車
- 軽雪上車
廃止(改編)部隊
[編集]- 第2特科連隊第5大隊第12射撃中隊:1979年(昭和54年)3月25日 廃止。第2特科連隊多連装ロケット中隊(75式130mm自走多連装ロケット弾発射機装備)に改編。
- 第2特科連隊第6大隊:1988年(昭和63年)3月24日 廃止。第2高射特科大隊として分離独立し、師団直轄となる。
- 第2特科連隊多連装ロケット中隊:1995年(平成 7年)3月27日 廃止。第2特科連隊第5大隊(4個射撃中隊)に改編。
- 第2特科連隊第5大隊:2003年(平成15年)3月27日:第5大隊を改編。多連装ロケットを廃止し、各射撃中隊の装備を75式自走155mmりゅう弾砲に換装。
脚注
[編集]- ^ 第2特科連隊HP 紹介隊区
- ^ 要員を第5大隊隷下の各中隊へ移動、3個射撃中隊を持ち回りで新隊員・予備自衛官・履修前等の各種教育を担任する教育大隊としての運用
- ^ 16個射撃中隊を11個射撃中隊に整理した際に生じた余剰人員を4大隊隷下中隊へ整理統合し常備化フル改編となった
- ^ 隊長を除く要員と必要な機材類は連隊本部及び第5大隊の管理替えでの運用
- ^ 陸上自衛隊 上富良野駐屯地【公式】 [@kamifurano_STA] (2024年3月27日). "3月21日、上富良野駐屯地は、第2特科連隊 第4大隊及び 第2後方支援連隊 特科直接支援小隊の移駐に伴い編成完結式を行いました。". X(旧Twitter)より2024年3月27日閲覧。
出典
[編集]- 『日本砲兵史 : 自衛隊砲兵過去現在未来』(陸上自衛隊富士学校特科会 編 1980.6)
- “防衛省人事発令”. 2014年12月1日閲覧。