稲葉太郎
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いなば たろう 稲葉 太郎 | |
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生誕 |
1887年1月??日 (明治20年1月) 岐阜県大垣市 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
大垣中学 京都府立第三中学校 京都府立医科大学 |
職業 | 柔道家、柔道整復師 |
団体 | 全日本體武会、全日本柔道会 |
流派 |
講道館柔道(破門) 大日本武徳会柔道 |
活動拠点 | 尚徳館(京都府京都市松原通高倉) |
肩書き |
大日本武徳会柔道教士 大日本武徳会武道専門学校柔道教授 接骨学会名誉会長 全日本柔道整復師会顧問 |
親 | 稲葉光羨 |
元講道館柔道七段(破門)、大日本武徳会柔道教士、大日本武徳会武道専門学校柔道教授。
経歴
[編集]1887年(明治20年)に岐阜県大垣市に生まれる[1]。 稲葉家は大垣藩に仕えており、父の稲葉光羨は勤王家一代の碩学と言われた人物であった[1]。
幼少から文武の道に励み、中学時代においては麒麟児であった[1]。
1921年(大正10年)接骨検定に合格した。
稲葉の道場である尚徳館では数多くの柔道家を養成し、高段者だけでも数百名を数えた[1]。
1937年(昭和12年)12月23日、中西元雄、脇川良一と共に講道館から破門され段位を剥奪された。
破門後に全日本體武会、全日本柔道会を組織し日本伝肉弾體武という独自の武道を教え始めた。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]関連項目
[編集]- 大長九郎(稲葉が組織した会の相談役を務めた。)
参考文献
[編集]- 中野銀郎著『接骨學會紳士録』接骨學會事務局,1936年
- 宮内省 監修『昭和天覧試合:皇太子殿下御誕生奉祝』大日本雄弁会講談社,1934年