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祓川正敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
秡川 正敏
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県
生年月日 (1939-03-01) 1939年3月1日
没年月日 (2012-08-13) 2012年8月13日(73歳没)
身長
体重
175 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1957年
初出場 1958年8月3日
最終出場 1962年4月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

祓川 正敏(はらいかわ まさとし、1939年3月1日 - 2012年8月13日[1])は、大分県出身のプロ野球選手投手)。

来歴・人物

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大分商業では渡会純男とバッテリーを組み、2年次の1955年には秋季九州大会県予選で決勝に進むが、日田高梅野慶志に完封を喫し敗退。その後も県予選で敗れ甲子園には出場できなかったが、卒業後の1957年に渡会と共に南海ホークスへ入団。3年目の1959年は50試合に登板し、4月から6月にかけて9連勝するなど、杉浦忠の38勝に次ぎチーム2番目の18勝を挙げ[2]、リーグ優勝に大きく貢献。同年の巨人との日本シリーズでも、第1戦で杉浦をリリーフして登板。1960年も8勝を記録するが、それ以降は成績が低下。巨人との1961年の日本シリーズでは、第2戦は先発で登板するも苦しいピッチングとなり3回で降板。シュート、カーブを武器としたが、1962年限りで現役を引退。

詳細情報

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年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1958 南海 15 2 0 0 0 2 0 -- -- 1.000 155 40.0 30 3 11 0 0 24 0 0 14 14 3.15 1.03
1959 50 33 6 3 1 18 7 -- -- .720 872 220.2 164 13 57 2 2 150 1 0 69 61 2.48 1.00
1960 36 14 2 0 0 8 5 -- -- .615 492 123.0 116 12 24 2 1 90 2 0 44 40 2.93 1.14
1961 13 5 1 1 0 2 1 -- -- .667 178 45.1 29 5 11 1 1 34 1 0 15 13 2.54 0.88
1962 4 1 0 0 0 0 1 -- -- .000 29 5.1 9 1 5 1 0 4 0 0 7 7 10.50 2.63
通算:5年 118 55 9 4 1 30 14 -- -- .682 1726 434.1 348 34 108 6 4 302 4 0 149 135 2.79 1.05

記録

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  • 初登板:1958年8月3日、対毎日大映オリオンズ18回戦(大阪スタヂアム)、8回表から4番手で救援登板、1回無失点
  • 初勝利:1958年8月12日、対近鉄パールス21回戦(大阪スタヂアム)、5回表から3番手で救援登板・完了、5回無失点
  • 初先発登板:1958年8月30日、対阪急ブレーブス20回戦(大阪スタヂアム)、1/3回1失点で勝敗なし
  • 初先発勝利・初完投・初完封:1959年4月26日、対阪急ブレーブス3回戦(阪急西宮球場

背番号

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  • 53 (1957年 - 1962年)

脚注

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  1. ^ OB NEWS Vol.55” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2012年10月). 2015年7月5日閲覧。
  2. ^ “ホークスの歩み(1959年)”. 福岡ソフトバンクホークス. https://www.softbankhawks.co.jp/ocms/pc/team/history/vol06.html 2020年4月2日閲覧。 

関連項目

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