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磯野清治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
磯野清治
いその せいじ
生年月日 1913年3月17日
出生地 日本の旗 日本 栃木県那須郡馬頭町
(現・那珂川町
没年月日 (1987-08-12) 1987年8月12日(74歳没)
出身校 高等小学校卒業
前職 常磐炭鉱社員
現職 いわき市参与
所属政党日本社会党→)
無所属

当選回数 3回
在任期間 1957年 - 1966年9月30日
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磯野 清治(いその せいじ、1913年大正2年〉3月17日[1] - 1987年昭和62年〉8月12日[2][3])は、福島県常磐市(現・いわき市(2期)。

来歴

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栃木県那須郡馬頭町(現・那珂川町)出身[2]高等小学校卒業後、常磐炭鉱に入るが、1年で退社[1]。裁判所職員を経て、朝鮮総督府警察学校に入り、刑務官となる[1]1946年(昭和21年)に帰国、常磐炭鉱に再就職、同所の労働組合に入り、組合長となる。

1957年常磐市長選挙

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1957年(昭和32年)の常磐市長選挙に日本社会党公認で立候補し、現職の矢吹荘司を破って初当選する[4][5]


※当日有権者数:22,455人 最終投票率:92.7%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
磯野清治44日本社会党7,399票35.7%-
矢吹荘司73-5,881票28.4%-
松本久吉---5,834票28.2%-
日野利春---1,588票7.7%-

1961年常磐市長選挙

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前回破った新人ほか2人との争いとなったが、これを破って再選を果たした[5]


※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
磯野清治48-14,616票65.3%-
松本久吉---7,319票32.7%-
大村哲也---237票1.1%-
大西亀吉---227票1.0%-

1965年常磐市長選挙

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共産党の新人との争いとなったが、これを破って3選を果たした[6]


※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)

候補者名年齢所属党派新旧別得票数得票率推薦・支持
磯野清治52無所属12,982票87.3%-
渡辺藤一-日本共産党1,891票12.7%-

いわき市と合併するまで市長を務めた[3]。合併後はいわき市参与となった[7]

このほか常磐市社会福祉協議会会長、日赤常磐地区長[1]、常磐地区労議長、日本社会党県支部会計監査地労委員、県労働金庫理事[8]、全国市長会評議員などを務めた[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『福島県名士録』66頁。
  2. ^ a b 『ジャパンWHO was WHO─物故者事典1983~1987』55頁。
  3. ^ a b 財界ふくしま 16(12) 32コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 河北年鑑 昭和33年版 167コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b 市制十年 6コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 河北年鑑 昭和41年版 44コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 公明 (53) 51コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 『日本人事録 第6版 全国篇』106頁。

参考文献

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