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石黒智久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石黒 智久
名前
カタカナ イシグロ トモヒサ
ラテン文字 ISHIGURO Tomohisa
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-04-27) 1981年4月27日(43歳)
出身地 富山県射水市
身長 177cm
体重 70kg
選手情報
ポジション FW
ユース
1997-1999 日本の旗 富山第一高校
2000-2003 日本の旗 愛知学院大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2007 日本の旗 YKK AP 40 (8)
2008-2009 日本の旗 カターレ富山 7 (0)
2010-2017 日本の旗 富山新庄クラブ
2018-???? 日本の旗 ヴァリエンテ富山
通算 47 (8)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

石黒 智久(いしぐろ ともひさ、1981年4月27日 - )は、富山県射水市(旧新湊市)出身[1]サッカー選手。ポジションはFW

来歴

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富山第一高等学校のFWとして出場した1999年度の高校サッカー選手権で、敗退した準決勝までの4試合で当時の大会最多得点記録となる9ゴールを挙げ、大会得点王となった[1][2]

愛知学院大学に進学し1年時からレギュラーとなりユニバーシアード代表候補にも選ばれたがプロからの誘いはなく、2004年に出身地の富山県に本拠地を置くYKK APに入社と同時にYKK APサッカー部JFL所属)に加入。2008年アローズ北陸と統合しカターレ富山としてJリーグ参入が決まり入団(YKK AP出身選手は統合後3年間は出向扱いの社員選手で、その後プロか社業に戻るか選択できた。)。地元選手としてしばしば試合告知イベントに呼ばれ、クラブからは契約延長も打診されていたが、2009年6月に退団した[3]。Jリーグでは2009年5月28日栃木SC戦における途中出場が唯一の出場機会で、出場時間は24分のみだった。

フットサルクラブのToroBravo富山を経て[4]、現在はYKK APの社業に就きながら、アマチュアサッカー選手として富山新庄クラブに入団、2017年シーズンまでプレーを続けた[5]

2018年ヴァリエンテ富山に移籍。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 愛学大 25 - - - 0 0
2004 YKK AP 19 JFL 5 1 - - 5 1
2005 17 0 - - 17 0
2006 1 0 - 0 0 1 0
2007 17 7 - - 17 7
2008 富山 23 6 0 - 0 0 6 0
2009 J2 1 0 - - 1 0
2010 富山新庄 24 富山県1部 8 10 - 2 0 10 10
2011 14 北信越2部 14 13 - 2 1 16 14
2012 北信越1部 12 6 - 1 1 13 7
2013 5 0 - 1 0 6 0
2014 北信越2部 8 3 - 1 0 9 3
2015 北信越1部 -
通算 日本 J2 1 0 - - 1 0
日本 JFL 46 8 - 0 0 46 8
日本 北信越1部 17 6 - 2 1 19 7
日本 北信越2部 22 16 - 3 1 25 17
日本 富山県1部 8 10 - 2 0 10 10
日本 - - 0 0
総通算 94 40 - 2 42

個人タイトル

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脚注

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  1. ^ a b 石黒 智久 FW 背番号23”. 北日本新聞. 2008年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月11日閲覧。
  2. ^ a b 木下一哉. “Road to 国立”. 北日本放送. 2006年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月28日閲覧。
  3. ^ 石黒智久選手 退団について”. J's GOAL (2009年6月10日). 2020年8月29日閲覧。
  4. ^ 石黒智久 選手の入団が決定いたました!”. ToroBravo富山フットサルクラブ (2009年7月21日). 2013年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月11日閲覧。
  5. ^ 退団選手のお知らせ | 富山新庄クラブ”. 2020年2月18日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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