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石原和三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石原和三郎
石原和三郎のレリーフ
群馬県みどり市、旧花輪小学校記念館屋外展示。

石原 和三郎(いしはら わさぶろう、慶応元年10月12日1865年11月29日) - 大正11年(1922年1月4日[1])は作詞家。号に、翠江、万岳。

経歴

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上野国勢多郡東村花輪(現・群馬県みどり市東町花輪)に、父・伝六、母・さだの長男として生まれる[1][2]

1885年明治18年)に花輪小学校教員となり、1887年(明治20年)群馬県師範学校入学、1891年(明治24年)卒業、郷里の花輪小学校校長(第3代校長)に任命された[1][2]

1894年(明治27年)に「小学校歌集註解」を出版。同年11月、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)訓導に転出[1]1900年(明治33年)に東京高師附属小をやめ、冨山房に入社[1]坪内逍遥のもとで「小学国語読本」編纂に携わった[1]

この年から石原作品を多くのせた「幼年唱歌」(全10冊)が順次出版され、「兎と亀」・「花咲爺」・「金太郎」が世に登場する。1905年(明治38年)には彼の長編ものの代表作といわれる「東京地理教育電車唱歌」が発行される。また、冨山房発行の「少年世界文学」には童話「六勇士」を書くなど著書も多い。

1922年(大正11年)1月4日没[1]。満56歳没。

郷里の東村には1989年平成元年)、石原の業績を記念した「童謡ふるさと館」が開館した[1]。また、1991年(平成3年)には、同郷の詩人・画家である星野富弘による絵柄で「うさぎとかめ」の切手が群馬県内限定で発売された。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 勢多郡東村誌編纂室 編『勢多郡東村誌 通史編』勢多郡東村、1998年2月25日、600-603頁。 
  2. ^ a b 旧花輪小学校記念館リニューアルオープン!(裏面)”. みどり市. 2023年8月閲覧。

関連項目

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外部リンク

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