矢嶋三義
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矢嶋 三義(やじま みよし、1911年(明治44年)11月16日[1] - 1996年(平成8年)4月19日[1])は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。旧姓は安部。
経歴
[編集]大分県[2]直入郡、現在の竹田市で安部家に生まれる[1]。1933年(昭和8年)九州帝国大学附設教員養成所数学科を卒業した[1][2]。
下野中学校[注 1]教諭、栃木県立宇都宮中学校[注 2]教諭、福岡県立八女中学校[注 3]教諭、長崎県立長崎中学校教諭、熊本県立熊本中学校[注 4]教諭、熊本県立熊本高等学校教諭などを務めた[2]。
労働運動に加わり、熊本県教職員組合委員長、日本教職員組合九州地協委員長、熊本県学生協同組合理事長、同県教育会長などを務めた[2]。
1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で全国区に無所属で出馬して当選し[1][3]、1956年(昭和31年)7月の第4回通常選挙で全国区に日本社会党公認で出馬して再選され[4]、参議院議員に連続2期在任した[1][2]。この間、参議院水害地緊急対策特別委員長、同風水害緊急対策特別委員長、畑地農業改良促進対策審議会委員、社会党熊本県連顧問、日政連幹事などを務めた[1][2]。その後、民主社会党(民社党)に加わり、1963年(昭和38年)11月の第30回衆議院議員総選挙(大分県第1区)、1965年(昭和40年)7月の第7回通常選挙(大分県地方区)に立候補したがいずれも落選した[5]。
1982年(昭和57年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章[6][7]。
1996年(平成8年)4月19日死去、84歳。死没日をもって従四位に叙される[8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 現作新学院高等学校
- ^ 現栃木県立宇都宮高等学校
- ^ 現福岡県立八女高等学校
- ^ 現熊本県立熊本高等学校
出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。