直江津市
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なおえつし 直江津市 | |||
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廃止日 | 1971年4月29日 | ||
廃止理由 |
新設合併 直江津市、高田市→上越市 | ||
現在の自治体 | 上越市 | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | 日本 | ||
地方 |
中部地方、北陸地方 甲信越地方 | ||
都道府県 | 新潟県 | ||
市町村コード | 15214-5 | ||
面積 | 106.31km2. | ||
総人口 |
45,357人 (国勢調査、1970年) | ||
隣接自治体 | 高田市、新井市、名立町、三和村、頸城村、大潟町 | ||
直江津市役所 | |||
所在地 | 新潟県直江津市直江津(江戸期の今町)[1] | ||
座標 | 北緯37度10分30秒 東経138度14分43秒 / 北緯37.17492度 東経138.24525度座標: 北緯37度10分30秒 東経138度14分43秒 / 北緯37.17492度 東経138.24525度 | ||
ウィキプロジェクト |
直江津市(なおえつし)は、かつて新潟県西部(上越地方)にあった市。現在の上越市北部に相当する。
律令時代には越後国の国府と国分寺(五智国分寺)が置かれた。親鸞が配流された地として、また森鷗外の『山椒大夫』の舞台として知られる。
歴史
[編集]古代・中世
[編集]- 706年(慶雲3年) 越後国の国府が置かれる[2]。
- 741年(天平13年) 越後国の国分寺(五智国分寺)が建立される[2]。
- 762年(天平宝字6年) - 水門都宇(直江津)の名が初めて文書に登場する[2]。
近代以後
[編集]- 1878年(明治11年)8月 - 今町を直江津に名称を変更する[3]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、中頸城郡直江津町、高崎新田、塩谷新田村、砂山村、八幡村、至徳寺村、安国寺村、轟木村及び春日新田の区域の一部、中頸城郡直江津町(なおえつまち)が発足する。
- 1947年(昭和22年)10月12日 - 昭和天皇の戦後巡幸。信越化学工場などを視察後、雲雀ヶ丘にて奉迎が行われた[4]。
- 1954年(昭和29年)6月1日 - 中頸城郡八千浦村、有田村、諏訪村の区域の一部及び保倉村を編入する。同日、市制施行して、直江津市となる。
- 1955年(昭和30年)
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 直江津市及び中頸城郡大瀁村の区域の境界を変更する。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 高田市の区域の一部を編入する。
- 1963年(昭和38年)8月1日 - 高田市及び直江津市の区域の境界を変更する。
- 1968年(昭和43年)5月1日 - 直江津市及び中頸城郡頸城村の区域の境界を変更する。
- 1970年(昭和45年)2月1日 - 高田市及び直江津市の区域の境界を変更する。
- 1971年(昭和46年)
行政
[編集]歴代市長
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 川澄農治 | 1954年(昭和29年)6月1日 | 1955年(昭和30年)2月 | 旧直江津町長、辞職 |
2 | 柳沢徹隆 | 1955年(昭和30年)4月30日 | 1962年(昭和37年)4月 | |
3 | 佐藤策次 | 1962年(昭和37年)7月 | 1971年(昭和46年)4月28日 | 廃止 |
教育
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高等学校
[編集]西尾維新によるファンタジー小説『化物語』には私立直江津高校という高校が登場するが、実在する高校ではない。
- 新潟県立直江津高等学校 - 2012年閉校。新潟県立直江津中等教育学校の前身。
交通網
[編集]近代においては鉄道と海上交通の双方において直江津は要衝の地にあった[2]。
港湾
[編集]鉄道
[編集]娯楽
[編集]名所・旧跡・観光スポット
[編集]出身著名人
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 新潟県直江津市 (15214A1968) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ