異安心
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異安心(いあんじん)とは、仏教各派において、正統とは異なった教義を指す語[1][2][3][4]。とくに浄土真宗において用いられる[1][2][3][4]。
浄土真宗においては、宗祖・親鸞が説いた「安心(あんじん)」とは異なると見なされた[5][4]異端的な[3][4]信仰、または信仰者が「異安心」として排斥の対象となった。同様の語に、異流[2]、異義[2]、異計[2]、邪義[2]などがある。
浄土真宗における異安心
[編集]歴史
[編集]浄土真宗においては、親鸞在世中からすでに門下にさまざまな論争・異義が生じていた[2][4]。本願寺を開創した覚如は、佛光寺系(真宗佛光寺派)が説いた「知識帰命」や、唯善の「無宿善往生」の教義を異安心として批判した[2]。
蓮如が生きた15世紀頃には、異安心と見なされる集団が多く現れた[4][5]。たとえば、秘事法門[4]、一益法門[4]、施物頼み[4]などである。
1763年から発生した西本願寺(浄土真宗本願寺派)の三業惑乱は、異安心の事件として知られている[4]。
近代においては、親鸞の思想の新しい解釈の試み(近代教学)に対して、伝統的教団の立場から、しばしば異安心という批判と排斥が加えられた[6]。
異安心と見做された人々・団体
[編集]- 秘事法門
- 清沢満之
- 金子大栄 - 1928年に著書『浄土の観念』が異安心とされて大谷大学教授を追われ、さらに真宗大谷派の僧籍を剥奪される[6](しかし、その後も自説を堅持する)。
- 曽我量深 - 1930年3月、『如来表現の範疇としての三心観』における主張が、異安心とされ問題となり、事実上追放の形で、大谷大学教授を辞任する(しかし、その後も自説を堅持する)。その後、金子とともに名誉回復された。
- 暁烏敏 - 1911年(明治44年)、その熱い情熱から異安心(浄土真宗における異端)扱いを受ける。
異安心の研究者
[編集]- 大原性実、「真宗異義異安心の研究」の著書がある。要約https://web.archive.org/web/20160731231517/http://www.geocities.jp/choumyouji/iannjinn.html
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “異安心”. デジタル大辞泉(コトバンク所収). 2016年9月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “異安心”. 世界大百科事典 第2版(コトバンク所収). 2016年9月30日閲覧。
- ^ a b c “異安心”. 大辞林 第三版(コトバンク所収). 2016年9月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 松野純孝. “異安心”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 2016年9月30日閲覧。
- ^ a b “異安心”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(コトバンク所収). 2016年9月30日閲覧。
- ^ a b 龍渓章雄 (PDF). 金子大栄著「浄土の観念」の一考察. doi:10.4259/ibk.32.152 2016年9月30日閲覧。.