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玉置信一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

玉置 信一(たまき しんいち、1895年明治28年〉7月5日[1] - 1975年昭和50年〉6月11日[2][3])は、大正昭和期の新聞記者政治家衆議院議員

経歴

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奈良県[4][注 1]出身。1896年(明治29年)北海道樺戸郡、のちの新十津川村(現新十津川町)に移住[4]。1923年(大正12年)満州法政学院政治経済科を卒業[2][3]し新聞記者となる[4]

衆議院議員東武と知り合い、北海タイムス北海道新聞の前身の一つ)の記者となる[4]。1932年(昭和7年)北海道会議員に選出され、同参事会員、留萌町会議員、同議長を務めた[2][3][4]

1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙北海道第2区から民主自由党所属で出馬して初当選[2][3][4]。その後、第26回総選挙まで連続3回当選[2][3][4][5]。1955年(昭和30年)7月、第27回総選挙では次点で落選し[6]、政界を引退した[4]。この間、第5次吉田内閣北海道開発政務次官を務め[2]、港湾建設の推進などに尽力した[4]

その他、北海タイムス支局長、留萌商工会議所副会頭、留萌貿易協会長、留萌市教育復興会議議長、水工連冷蔵常務取締役、同胞救援国民運動総本部事務局長、丸一水産取締役社長、自由党総務、同政調会海運部副部長などを務めた[2][3][4]

政界引退後の1961年(昭和36年)北海道選挙管理委員会委員長に就任した[2][4]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』401頁、『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』387頁では北海道出身。

出典

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  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿.第5回国会』〈衆議院公報附録〉、1949年、33頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』401頁。
  3. ^ a b c d e f 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』387頁。
  4. ^ a b c d e f g h i j k 『北海道歴史人物事典』228頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』3-4頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』4頁。

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。