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牛丼太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
株式会社深澤
牛丼太郎代々木店
牛丼太郎代々木店(2010年撮影)
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
351-0101
埼玉県和光市白子1-6-10[1]
設立 1983年7月[1][2]
業種 小売業
事業内容 牛丼チェーン店の運営
代表者 破産管財人 小林史芳[1][2]
資本金 1億円[1]
売上高 1億5000万円(2011年12月期)[1]
関係する人物 深澤五郎(前社長)
特記事項:2013年9月6日さいたま地方裁判所より破産手続き開始が決定[1][2]
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牛丼太郎(ぎゅうどんたろう)は、日本にかつて存在した、牛丼をメイン商品とするファーストフード店である。埼玉県和光市白子に本社を置く株式会社深澤が経営し、2012年まで東京23区内で展開していた。本稿では牛丼太郎茗荷谷店を引き継ぎ営業している丼太郎についても記述する。

概要

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2012年8月11日、東京23区内に残存していた全ての店舗が牛丼太郎としての営業を終了。そのうち2店舗は翌8月12日以降、外看板の「牛」の文字を隠し、株式会社丸光が経営する「丼太郎」(どんぶりたろう)[3]に変更して営業を続行。そのうち1店舗は2015年3月31日に閉店し、2015年現在営業しているのは1店舗(茗荷谷店・北緯35度43分0.6秒 東経139度44分16.4秒)のみとなっている[4]

牛丼太郎を経営していた深澤は、2013年9月6日さいたま地方裁判所より破産開始の決定を受けた[1][2]

沿革

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設立

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1970年から1980年に吉野家で副社長を務め(1980年7月の吉野家の会社更生法適用申請に伴い吉野家副社長を退任)、後に松屋で顧問を務めた深澤五郎[5]1983年7月に東京都中野区で設立[1][2]1997年当時は本社を練馬区に置いていた[6]。元々低価格路線を採り[6]、小規模チェーンながら安価妥当な食品・サービスを提供しており、1999年12月期には売上高5億6000万円を計上していた[2]。当初は牛丼とそれに関連する定食、および当時は朝時間帯のみ納豆丼を扱っていたが、BSE問題の時期からカレーライスをはじめとしてメニューが増えた。1997年当時の日本食糧新聞社の記事によれば、「10数年前から多店舗化を推進しているが、西武新宿線JR中央線沿線に8店舗の出店で留まっている」「店舗あたりの月商は推計200万円」と報じられていた[6]

営業終了・破産

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しかし、すき家吉野家松屋等の大手チェーン店との競争激化に伴って販売の伸び悩みが続いた上、価格の切り下げを余儀なくされるなど苦戦を強いられており[1]、BSE問題の影響[2]もあって2008年12月期には売上高1億6500万円[2]2011年12月期には1億5000万円[1]まで下落。業績回復の目処が立たないことから2012年8月には店舗の営業を停止し、債務整理に着手していた[2]2013年9月6日にはさいたま地方裁判所より破産手続き開始の決定を受けた[1][2]。深澤五郎自身も、1980年7月の吉野家の会社更生法適用申請に伴う吉野家副社長退任に次いで(吉野家はセゾングループ傘下の下で再建を進め、1987年に会社更生計画終結)、2度目の牛丼チェーン運営企業の経営破綻を味わうことになった。

かつて公式サイトが存在せず、一部を除き各店舗の電話番号タウンページに掲載されていないなど公式な情報宣伝をしない営業姿勢だった。これは当時の社長がインターネット等のツールに興味が無く、「そういった所にお金をかけるのであれば少しでも安く牛丼を提供したい」という意向があった為だとされる[3]。その後2010年6月11日より公式ウェブサイト・公式モバイルサイトを開設し、ウェブによる広報求人活動を開始したが、2012年4月1日以降、公式ウェブサイトがアクセス不可となり、さらに同年7月以降複数の店舗が閉店。同年8月11日、東京23区内に残存していた全ての店舗が牛丼太郎としての営業を終了した。

低価格路線のパイオニア

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かつてはどの東京23区内の大手牛丼チェーンよりも低価格で牛丼を提供していた[6]1990年吉野家が並1杯350円から400円に値上げを発表し、他のチェーン店もそれに追随する中、牛丼太郎は350円を維持していた[3]。その後も松屋フーズに対抗して300円、神戸らんぷ亭に対抗して250円と大手チェーン店が価格を下げる度に牛丼太郎も値下げを断行し、2001年には並1杯200円にまで下落した[3][5][7][8]

しかし、低価格化に伴い、夏でも冷房を入れない店舗があるなどサービスは低下。人件費も過剰な削減によってまともなオペレーションができなくなっていた。傘下店舗の離反も相次ぎ、集客力が低下し、この期間に多くの店舗が閉店した。

深澤五郎がここまでの低価格路線を敷いたことについては「吉野家で副社長まで務めた経験がありながら、なぜこのような無謀なことを?」という声も多く聞かれた。また深澤が牛丼太郎の経営に失敗したことから、吉野家の1980年の倒産はオイルショックだけではなく当時副社長を務めていた深澤の経営手腕も原因となったのではないかと、後に疑念を抱かれることとなった。

BSE問題の影響

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さらに2003年末からのBSE問題により米国産牛肉が輸入できない事態となり、それを使用していた牛丼太郎も影響を受けることとなる。米国産牛肉の在庫が尽きて大手牛丼チェーンが牛丼を販売中止し豚丼などの代替メニューに切り替える中、牛丼太郎は引き続き牛丼の販売を続ける方針を示し、米国産牛肉の在庫が無くなる2004年2月中旬ごろから3月中旬ころまでは牛丼への一時的豚肉混合[5]豪州産牛肉への切り替えなどの対応を行い、2004年11月まで並1杯250円で提供していた。

しかし、豪州産牛肉の価格高騰の余波や、原材料の見直し(日本産牛肉も一部使用)などの影響も受け、順次価格改定が行われた。2010年6月時点では並1杯290円であり、他牛丼チェーンと同程度の価格となった。2012年2月時点では並1杯250円となっていた。

閉店時の主なメニュー

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一部のメニューは店舗によって販売していないケースや、同じメニューでも店舗によって添付品や内容がことなる場合もあった。また、野菜サラダ味噌汁などとのセットメニューもあり、量や安さを求める客層にも対応していた。

過去に存在した店舗

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丼太郎茗荷谷店

茗荷谷店は2012年8月12日以降、「丼太郎」と店名を変更して営業。

丼太郎

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丼太郎は牛丼太郎茗荷谷店を引き継ぎ営業している店舗。

牛丼太郎破産開始後に破産管財人に取材した東京スポーツの記事によれば、2012年8月に牛丼太郎としての営業を停止する前に、当時残存していた5店舗のうち代々木店と茗荷谷店の2店舗を従業員が設立した別会社に譲渡したとしている[9]。しかし、事業の譲渡が行われた経緯を示す書類が残っておらず、丼太郎として現存する2店舗が現在も深澤の財産であるのか正式に譲渡されたのかもはっきりしていないと報じていた[9]

茗荷谷店従業員に取材したハーバービジネスオンライン(扶桑社)、およびwithnews(朝日新聞社)の記事によれば、運営会社の倒産と同時に有志3名と株式会社丸光を設立[3][5]、当初は茗荷谷店のみ運営を引き継ぐ予定であったが、思いのほか牛丼太郎で働きたい者が多かったことから、賃貸契約が切れるまで代々木店も運営を続けることになったという[3]。「丼太郎」という店名については、なるべく予算をかけずに看板を変えようとした結果であるほか[3]、牛丼太郎の面影を残すことにより懐かしく思って足を運んでくれる客への期待[3]、および以前とは別会社であることをアピールするための苦肉の策[5]などの理由があるとしている。開業にあたっては食材の仕入先から取引を断られたり、「運営会社が変わった」という理由で賃貸契約の結び直しや高額な敷金・家賃を求められるなど苦難があったとしているが、牛肉の取引業者やビルオーナーの協力により茗荷谷店の運営に成功していると報じられている[5]

関係する有名人

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  • 大澄賢也 - ダンサー・タレント。高田馬場店に勤務していた経験がある。
  • ゾマホン・ルフィン - 駐日ベナン国大使(2012年 - 2016年)・タレント。来日時に中野に居住しており、安価な食事として高円寺店を利用していた[7]
  • タイムマシーン3号 - お笑いタレント。東京アナウンス学院生時代に、西新宿店を利用していた。
  • 増田俊樹 - 声優・俳優。東京アナウンス学院生時代に、西新宿店を利用していた。

その他

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k (株)深澤” (日本語). 倒産速報. 東京商工リサーチ (2013年9月20日). 2013年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j “「牛丼太郎」運営の深澤倒産 BSE問題などで売り上げ減少” (日本語). 埼玉新聞. (2013年9月21日). オリジナルの2013年10月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131004220247/http://www.saitama-np.co.jp/news/2013/09/21/04.html 2015年5月27日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h HBO編集部 (2015年8月27日). “『牛丼太郎』最後の生き残り、『丼太郎』茗荷谷店の謎” (日本語). ハーバービジネスオンライン. 扶桑社. 2015年11月24日閲覧。
  4. ^ a b 【超絶悲報】「丼太郎」代々木店、3月31日でついに閉店 残すところあと1店舗…” (日本語). J-CASTトレンド. ジェイ・キャスト (2015年3月25日). 2015年5月27日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 信原一貴 (2015年7月28日). “倒産「牛丼太郎」元社員、「丼太郎」で挑む復活 仲間4人で切り盛り” (日本語). withnews. 朝日新聞社. 2015年7月29日閲覧。
  6. ^ a b c d “地域ルポ 野方(東京・中野区)下町風情残し賑わう商店街” (日本語). 外食レストラン新聞 (日本食糧新聞社): p. ページ数不明. (1997年4月21日)  - G-Searchにて2015年5月27日閲覧。
  7. ^ a b 藤川大樹 (2014年3月17日). “TOKYO発 平成写真館 東京レター 人生変えた一杯のラーメン” (日本語). 中日新聞(朝刊、東京発面): p. 28. "よく行ったのは、高円寺駅北口の「牛丼太郎」。並一丁二百円、大盛り三百五十円。"  - G-Searchにて2015年5月27日閲覧。
  8. ^ 小野博宣 (2001年9月22日). “安くなった牛丼 食べ方はさまざまに/東京(マルチういんどー)” (日本語). 毎日新聞(地方版、東京): p. 24. "「吉野家」は280円だが、「牛丼太郎」は最も安くてなんと200円。"  - G-Searchにて2015年5月27日閲覧。
  9. ^ a b 渡辺学 (2013年10月1日). “丼太郎は営業続行(ニュースのフリマ)” (日本語). 東京スポーツ. オリジナルの2015年11月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151125053313/http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-watanabe/10601/ 2019年5月18日閲覧。 
  10. ^ 佐藤英典 (2017年1月11日). “アノ"牛丼太郎"が復活か!? 東京・銀座に突如としてあらわれた新店舗に行ってみた/意外な真相判明” (日本語). ロケットニュース24. ソシオコーポレーション. 2017年8月12日閲覧。
  11. ^ 牛丼屋(丼太郎)×『ピリオドゼロ』コラボカードはHP300でコスパ◎。リアムタイム対戦も実装”. 電撃App. アスキー・メディアワークス (2017年4月7日). 2017年11月18日閲覧。

外部リンク

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