源旧鑑
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時代 | 平安時代前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 延喜8年(908年)2月 |
別名 | 職鑑 |
官位 | 正四位下、大蔵卿 |
主君 | 清和天皇→陽成天皇→光孝天皇→宇多天皇→醍醐天皇 |
氏族 | 光孝源氏 |
父母 | 父:光孝天皇、母:讃岐永直の娘 |
兄弟 |
元長、兼善、名実、篤行、最善、近善、音恒、是恒、旧鑑、遅子、麗子、竒子、忠子内親王、貞恒、成蔭、是忠親王、是貞親王、国紀、宇多天皇、香泉、友貞、簡子内親王、崇子、連子、綏子内親王、礼子、最子、偕子、黙子、是子、並子、深子、為子内親王、周子、密子、繁子内親王、穆子内親王、緩子、和子、謙子、袟子、快子、善子など多数 養兄弟:是茂 |
妻 | 不詳 |
子 | 清望、時忠、封子 |
源 旧鑑(源 舊鑒、みなもと の もとみ)は、平安時代前期の賜姓皇族・貴族。名は職鑑とも。光孝天皇の第九皇子。官位は正四位下・大蔵卿。
経歴
[編集]清和朝の貞観12年(870年)2月に源朝臣姓を賜り臣籍降下した。
元慶8年(884年)父・時康親王が即位(光孝天皇)すると時服月俸に与り、一世王の蔭位により无位から従四位上に直叙される。仁和2年(886年)備前守に任ぜられ、その後、左京大夫などを経て正四位下・大蔵卿に至った。
官歴
[編集]注記のないものは『日本三代実録』による。
- 貞観12年(870年) 2月14日:臣籍降下(源朝臣)
- 元慶8年(884年) 6月2日:預時服月俸。11月25日:従四位上(直叙)
- 仁和2年(886年) 正月16日:備前守
- 時期不詳:正四位下。左京大夫。大蔵卿[1]
- 延喜8年(908年) 2月:卒去[要出典]
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 『尊卑分脈』
参考文献
[編集]- 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年