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浪打駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浪打駅
なみうち
Namiuchi
野内 (5.1 km)
(2.5 km) 浦町
地図
所在地 青森県青森市造道字浪打
北緯40度49分40.4秒 東経140度46分56.3秒 / 北緯40.827889度 東経140.782306度 / 40.827889; 140.782306座標: 北緯40度49分40.4秒 東経140度46分56.3秒 / 北緯40.827889度 東経140.782306度 / 40.827889; 140.782306
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 東北本線
キロ程 734.9 km(東京起点)
電報略号 ナウ
駅構造 地上駅
開業年月日 1924年大正13年)1月15日[1]
廃止年月日 1968年昭和43年)7月21日*[1]
* 東北本線の野内 - 青森間のルート変更による廃駅
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浪打駅
なみうち
Namiuchi
(2.2 km) 堤川
所属事業者 運輸省(国有鉄道)
所属路線 東北本線貨物支線*
キロ程 0.0 km(当駅起点)
開業年月日 1944年昭和19年)6月15日[2]
廃止年月日 1946年(昭和21年)10月20日[2]
* 通称は堤川線
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浪打駅(なみうちえき)は、かつて青森県青森市造道字浪打にあった日本国有鉄道(国鉄)東北本線廃駅)である。複線電化に伴う青森市内での東北本線ルート変更に伴い1968年(昭和43年)7月21日に廃止となった。

歴史

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駅構造

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駅入口の奥に改札口があり、その奥の階段を上ると跨線橋があるという比較的単純な構造であった。

当時の駅周辺

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  • 合浦公園
    • 現在でも桜の名所で、海水浴場が開かれる。この駅が設置された理由の一つは、この公園利用者の便宜をはかることであった。公園内には青森市営野球場もある。
  • 練兵町(現在の浪打1・2丁目)
    • 駅の南西にあった青森第五連隊の練兵場跡地が払い下げられ、昭和初期に住宅地として開発された。現在、浪打1丁目付近には旧町名「練兵町」を示す標柱が建てられている。
  • 青森県立青森中学校
    • 青森空襲の際に校舎が焼失。戦後、青森市筒井に移転している。現在の県立青森高校。跡地は青森市営野球場。
  • 青森競輪場
    • 合浦公園敷地内に1950年からあった。現在は青森市新城地区に移転している。跡地は多目的グラウンドとして使用されている。
  • 青森県立青森商業高等学校
    • 現在は、青森市東造道に移転している。跡地は青森市民体育館。
  • 青森市立第一高等学校
  • 青森明の星高等学校

バス路線

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駅跡地

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浪打交番向かいが駅舎のおおよその位置である。跡地は、国道4号青森東バイパスとなっているほか、商店の用地として使われている。敷地が広かったため、現在も跡地付近に限っては東バイパス沿いの商店の駐車場は広くなっている。かつてここには、付近の合浦公園にあった競輪場利用者のための駐車場が設けられていたこともある。

近くにある青森市佃の鉄道官舎はルート変更後も残されたが、次第に減少していき、2002年ごろにすべて解体された。

その他

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1964年同年10月のダイヤ改正前)の時点で、上りの盛岡駅行き準急「しもきた」が当駅に停車していた[5]

隣の駅

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日本国有鉄道
東北本線
野内駅 - 浪打駅 - 浦町駅
運輸省
東北本線貨物支線(通称堤川線)
浪打駅 - 堤川駅

脚注

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  1. ^ a b c d e f 石野 1998, p. 420.
  2. ^ a b 石野 1998, p. 423.
  3. ^ 「運輸通信省告示第284号」『官報』1944年6月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「運輸省告示第260号」『官報』1946年10月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 国鉄監修 交通公社の時刻表』1964年9月号、p.332。下りの「しもきた」は隣の浦町駅に停車していた(同p.331)。

参考文献

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  • 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日。ISBN 978-4-533-02980-6 

関連項目

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外部リンク

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