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河本三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
河本 三郎
こうもと さぶろう
生年月日 (1950-09-07) 1950年9月7日(74歳)
出生地 日本の旗 日本 兵庫県相生市
出身校 日本大学理工学部卒業
前職 三光汽船社員
所属政党 自由民主党高村派
称号 旭日重光章
親族 父・河本敏夫

選挙区 兵庫12区
当選回数 3回
在任期間 1996年 - 2000年
2003年 - 2009年

選挙区 兵庫県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1992年 - 1996年10月8日
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河本 三郎(こうもと さぶろう、1950年9月7日 - )は、日本政治家自由民主党所属の元衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)。父は河本敏夫

来歴・人物

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兵庫県相生市生まれ。海城高等学校日本大学理工学部を経て、三光汽船に入社し17年間の会社員生活を送る。1992年(平成4年)の第16回参議院議員通常選挙兵庫県選挙区から立候補し、トップ当選。参議院議員任期途中の1996年(平成8年)、父・河本敏夫の引退をうけて兵庫12区から第41回衆議院議員総選挙に立候補(立候補に伴い参議院議員を退職(自動失職))し、初当選した(当選同期に河野太郎菅義偉平沢勝栄渡辺喜美大村秀章桜田義孝下地幹郎下村博文新藤義孝滝実田村憲久谷畑孝戸井田徹松本純など)。同じ年の11月に、第2次橋本内閣経済企画政務次官に就任し、その後、自由民主党国会対策副委員長などの要職に就任する。

2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙で惜敗するも、2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙で返り咲く。以来、衆議院内閣委員会筆頭理事や自民党副幹事長等の役職を務めた。

初当選後は番町政策研究所(高村派)に所属し、高村正彦とともに活動。2005年(平成17年)、第3次小泉改造内閣文部科学副大臣に就任する。2006年(平成18年)10月、衆議院内閣委員会委員長に就任する。国土交通委員会理事。

2009年(平成21年)8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙に自民党から出馬し、公明党の推薦も得た[1]が落選、同年9月2日に体力の限界を理由として政界引退を表明した[2]

2020年11月、旭日重光章受章[3]

年譜

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所属していた団体・議員連盟

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家族

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脚注

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  1. ^ 比例貢献が基準?公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)
  2. ^ “衆院選:落選の河本三郎氏が政界引退 故河本敏夫氏の息子”. 毎日新聞. (2009年9月2日). https://web.archive.org/web/20090903163928/http://mainichi.jp/select/seiji/09shuinsen/news/20090902k0000e010068000c.html 2009年9月2日閲覧。 
  3. ^ 『官報』号外第230号、令和2年11月4日
  4. ^ 佐藤朝泰 『豪閥 地方豪族のネットワーク立風書房2001年7月5日ISBN 4-651-70079-9、476-477、480-481頁
公職
先代
小島敏男
塩谷立
日本の旗 文部科学副大臣
馳浩と共同

2005年 - 2006年
次代
池坊保子
遠藤利明
議会
先代
棚橋泰文
日本の旗 衆議院政治倫理の確立及び
公職選挙法改正に関する特別委員長

2008年 - 2009年
次代
牧野聖修
先代
佐藤剛男
日本の旗 衆議院内閣委員長
2006年 - 2007年
次代
中野清