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民衆駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

民衆駅(みんしゅうえき)とは、日本国有鉄道において、駅舎の建設を国鉄と地元が共同で行い商業施設を設けた駅ビル形態の施設である。

概要

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太平洋戦争によって日本の主要都市空襲を受けて焼け野原と化し(日本本土空襲)、駅舎も多くが焼失した。戦後、国鉄は線路車両の復興を優先して行うことにしたため、多くの駅が仮駅舎のままでの営業を強いられることになった。

そのため国鉄では、戦災復興を地元と共同で行うことを目論むようになり、駅舎の建設に関して地元の有力者たちの資金を仰いで、その代わりに商業施設を駅舎内に設けた駅を造ることにした[1]私鉄では、小林一三による阪急電鉄梅田駅を初めとして商業施設を設けた駅が戦前から誕生していたが、国鉄では初の試みと言えた。

最初の例となったのは豊橋駅で、1950年昭和25年)3月14日に完成、同年4月1日に開業した[2]。以後、日本全国へこの方式の駅が広まっていったが、駅内の商業施設が収益を上げても国鉄には地代収入しか入らなかった。しかし、1971年(昭和46年)の国鉄法改正で、国鉄による直接投資が可能となり[1]1973年(昭和48年)6月26日に初の投資物件として平塚駅が完成した[3]

民衆駅には買い物客の利便性の向上のため、売り場にも改札が設けられ、さらにメインの改札口を経由せず直接出入りすることができる構造が多かったほか、「ステーションデパート」という名称が使われることも多かった。

民衆駅は駅の活性化に貢献してきたが、地方都市に建てられた民衆駅はモータリゼーションの進行などで乗客を減らしており、商業施設も郊外に大型店(ロードサイド店など)ができたことや、建物の老朽化により衰退し、その後の駅の改築によって次第に姿を消しつつある。しかし、死語としての「民衆駅」で培った商業施設運営のノウハウは、国鉄民営化後、駅ビル事業がJR旅客6社の収益の柱事業となって今も生きている。

主な民衆駅

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※注)1950-1973年 建設のもののみ(それ以降は国鉄出資会社ビル)[4]

  • (第8号) 札幌駅(4代目) - 1952年建設。地下街「札幌ステーションデパート」併設。1988~90年、高架駅化により駅舎移転。1999年、地下街は「アピア」に呼称変更。2005年、駅関連会社3社が合併し、札幌駅総合開発に移行。
  • (第26号) 旭川駅 - 1960年建設。地下街「旭川ステーションデパート(まごころタウン)」併設(2004年閉店)。1982年、新ビル移行。
  • 帯広駅 - 1966年建設、帯広ステーションビル(株)(第三セクター)。寄合百貨店「帯広ステーションデパート」併設。1996年、新ビル移行。ビル会社経営破綻[5]
  • 現存(第28号) 釧路駅 - 1961年建設。釧路ステーションビル(協)。地下街「釧路ステーションデパート」併設(2004年閉店)。駅舎は存続。
  • (第14号) 東京駅八重洲口 1954年建設。鉄道会館八重洲本館(鉄道会館ビル大丸東京店(Dpt)が進出。2007年、再開発によりグラントウキョウへと発展した。
  • (第3号) 秋葉原駅 1951年建設。秋葉原会館寄合百貨店アキハバラデパート」併設。2005年、東京圏駅ビル開発に吸収合併。2006年閉店。2010年建設の新ビルは「アトレ秋葉原」となった。
  • 現存(第35号) 新宿駅東口 - 1964年建設。新宿ステーションビル寄合百貨店として開業。1950年以降、髙島屋伊勢丹、地元資本等が民衆駅を競願[6]しており、国鉄の指導により髙島屋伊勢丹西武百貨店、地元資本等が均等に出資して一本化することとなった[7]。当初、西武新宿線の乗り入れが予定されており、「株式会社新宿ステーションビル事業案内」の一部図面[8]でその構想が分かる。1978年全館改装、マイシティに呼称変更。国鉄民営化の際に株主である西武百貨店が株式会社新宿ステーションビルの乗っ取りを仕掛けたが失敗し[9][10]、1991年にJR東日本が過半数の株を取得。2006年ルミネに吸収合併、ルミネエスト新宿に呼称変更[11]
  • 池袋駅
    • (第2号) 西口 - 1950年建設。池袋西口民衆駅ビル。1985年「池袋ターミナルホテル」(メトロポリタンプラザ)に移行。
    • 現存(第17号) 東口 - 1957年建設。池袋ステーションビル東京丸物(Dpt)を核テナントとして開業。1969年、西武グループの買収により池袋パルコとなり、セゾングループ傘下で独自の発展を遂げた。
  • 現存(第33号) 蒲田駅東口 - 1963年建設。蒲田ステーションビル寄合百貨店「パリオ」併設。2007年リニューアル。西口の「サンカマタ」とともにジェイアール東日本商業開発に吸収合併し、「グランデュオ」に呼称変更。
  • (第6号) 高円寺駅 - 1952年建設。1966年高架複々線化。
  • 現存(第29号) 錦糸町駅 - 1962年建設。(株)錦糸町ステーションビル寄合百貨店「駅ビル錦糸町」(テルミナ)併設。JR系の後発新会社を吸収合併し、存続・発展している。
  • 現存(第21号) 川崎駅 - 1959年完成[12][13]川崎交通建物(株)((株)川崎ステーションビル)。寄合百貨店「駅ビルかわさき」として開業。1987年、耐震工事後「川崎BE」に呼称変更。2010年アトレに吸収合併、アトレ川崎に呼称変更。
  • (第39号) 鶴見駅 - 1965年建設。鶴見振興(株)(鶴見ステーションビル)。寄合百貨店つるみカミン」併設。老朽化で2008年閉店し、建物は解体。2012年建設の新ビルは、横浜ステーシヨンビルが運営(CIAL鶴見)。
  • (第32号) 横浜駅西口 - 1962年建設。(株)横浜ステーシヨンビル寄合百貨店横浜ステーションビル」として開業。「CIAL」(シァル)に呼称変更。老朽化で2011年閉店し、建物は解体。2020年にJR横浜タワーが開業。
  • (第18号) 新潟駅万代口 - 1958年移転建設。2020年閉鎖。
  • (第22号) 岐阜駅 - 1959年建設。「岐阜ステーションデパート」併設。1997年高架駅化。
  • 現存(第12号) 沼津駅(5代目) - 1953年建設。
  • (第1号) 豊橋駅 - 1950年、豊橋市民の共同出資。1970年、豊橋ステーションビル(株) 設立、新駅ビルへ移行。1996年、橋上駅化に伴い増改築[14]。 商業施設はカルミアに呼称変更。
  • (第4号) 尾張一宮駅 - 1952年建設。2007年解体。2013年新駅ビル(i-ビル)へ移行。
  • 現存(第25号) 四日市駅 - 1960年建設[15]
  • (第10号) 富山駅 - 1953年建設。まると百貨店(富山ステーションデパート、とやま駅特選館)併設。2015年北陸新幹線金沢開業に合わせ高架化[16]
  • 高岡駅 - 1966年建設。2014年新駅ビル(クルン高岡)開業。
  • (第11号) 金沢駅 - 1953年建設。1990年高架化に伴い新駅ビルへ移行。
  • (第9号) 福井駅 - 1952年建設。福井ステーションビル。2005年高架化に伴い新駅ビルへ移行。
  • (第13号) 松江駅 - 1953年建設。1977年高架駅化。
  • (第40号) 広島駅 - 1965年建設。広島ステーションビル(株)寄合百貨店「ひろしま駅ビル」併設。1999年改装。商業施設は「アッセ」に呼称変更し、2010年ビル会社「中国SC開発」と合併。2020年3月末で閉館[19]、全面改築を行う方針。
  • 徳山駅 - 1969年建設。徳山ステーションビル(株)(「トークス」)。2000年解散。2001年、2階以上を周南市が購入。ふるさと進行財団「市民交流センター」開設[20]。2014年9月6日、在来線の駅舎が(橋上駅)化。[21]。2015年3月21日閉館[22]。2016年2月解体が完了[23]
  • 現存 益田駅 - 1961年建設
  • (第36号) 博多駅 - 1964年建設(移転)。博多ステーションビル。2005年解体(2011年よりJR博多シティ)。
  • (第5号) 門司駅 - 1952年建設。2004年橋上駅化。
  • (第19号) 小倉駅(3代目) - 1958年建設。小倉ステーションビル。5階建。1998年14階建複合ターミナルビルへ建替[24]
  • (第15号) 八幡駅 - 1955年建設(移転)。2008年建替。
  • (第37号) 戸畑駅(3代目) - 1964年建設。地上4階、地下1階。1999年建替。
  • 現存 別府駅 - 1966年建設。高架下ショッピングセンター「別府ステーションセンター」(現在のえきマチ一丁目別府)併設。後に隣接して立体駐車場などを増築し営業中。
  • (第7号) 西鹿児島駅(2代目) - 1952年建設。1996年建替。

脚注

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  1. ^ a b 『東日本旅客鉄道株式会社二十年史 1987.4-2007.3』p.432
  2. ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、376頁。ISBN 4-00-022512-X 
  3. ^ 「平塚駅ビルきょう開業 国鉄の直接投資第一号」『交通新聞』交通協力会、1973年6月26日、2面。
  4. ^ 民衆駅一覧 横田英男著「旅客駅計画と設計」より
  5. ^ 十勝支庁 帯広市史
  6. ^ 針木康雄「怪談・新宿民衆駅―伊勢丹に敗れた髙島屋―」『財界』第7巻第17号、財界研究所、1959年9月、39 - 41頁。 
  7. ^ 「東建工」編集委員会『東建工 2号「特集:新宿東口民衆駅」』日本国有鉄道東京建築工事局、1965年。 
  8. ^ 【新宿駅にはあの電車も】”. 東京都公文書館. 2022年11月2日閲覧。
  9. ^ 林一仁「仮面の経営者・堤清二(第七弾)!新宿ステーションビルから追放された日」『宝石』第19巻第9号、光文社、1991年9月、240 - 247頁。 
  10. ^ 中原秀樹「JRに城を明け渡した新宿ステーションビル――敗戦処理に入った堤・セゾン」『月刊経営塾』第6巻第6号、経営塾、1991年6月、146 - 150頁。 
  11. ^ 新宿未来創造財団
  12. ^ 「川崎民衆駅が開業」『交通新聞』交通協力会、1959年3月31日、2面。
  13. ^ "川崎駅ものがたり—民衆駅の誕生". 川崎市川崎区. 川崎市川崎区役所. 10 April 2012. 2022年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月28日閲覧
  14. ^ 豊橋市役所 市の歴史
  15. ^ 「四日市民衆駅が落成」『交通新聞』交通協力会、1960年5月3日、1面。
  16. ^ 富山新聞2013.5.3
  17. ^ 週刊大阪日日新聞社
  18. ^ “和歌山民衆駅が完成”. 交通新聞 (交通協力会): p. 2. (1968年3月23日) 
  19. ^ 広島駅ビル ASSE”. 中国SC開発株式会社. 2020年5月3日閲覧。
  20. ^ 周南市市民交流センター
  21. ^ 井上秀人(2014年9月7日). “JR徳山駅:南北自由通路、在来線口の橋上駅舎が完成 列車の到着音、まどさんの童謡に”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  22. ^ 峰下喜之(2015年3月22日). “徳山駅ビル:閉館 46年の歴史に幕”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  23. ^ 徳山駅ビル解体工事の進捗状況について - 周南市、2016年5月31日閲覧。
  24. ^ 小倉ターミナルビル沿革

参考文献

[編集]
  • 東日本旅客鉄道株式会社編『東日本旅客鉄道株式会社二十年史 1987.4-2007.3』 東日本旅客鉄道、2007年。