コンテンツにスキップ

毛利元道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
毛利 元道
もうり もとみち
陸軍軍人および貴族院議員時代の毛利元道
生年月日 1903年6月8日
出生地 日本の旗 日本東京府東京市
没年月日 (1976-01-22) 1976年1月22日(72歳没)
死没地 日本の旗 日本山口県防府市
出身校 陸軍士官学校
前職 陸軍砲兵少佐
称号 従四位
勲三等旭日中綬章
公爵
配偶者 毛利誠子
子女 長男・毛利元敬
次男・福原元宏
三男・毛利元保
四男・毛利元敦
長女・廣澤妙子
親族 父・毛利元昭(貴族院議員)
祖父・毛利元徳(貴族院議員)
祖父・三条実美(貴族院議員)
叔父・小早川四郎(貴族院議員)
叔父・毛利五郎(貴族院議員)
叔父・西園寺八郎(貴族院議員)
伯父・三条公美(貴族院議員)
叔父・三条公輝(貴族院議員)
従兄・毛利元良(貴族院議員)
従兄・閑院宮春仁王(貴族院議員)
従弟・西園寺公一(参議院議員)
従弟・三条実春(貴族院議員)

選挙区公爵議員
在任期間 1938年11月15日 - 1946年2月21日
テンプレートを表示

毛利 元道(もうり もとみち、1903年明治36年〉6月8日 - 1976年昭和51年〉1月22日[1])は、日本政治家陸軍軍人。旧長州藩毛利家第30代当主。最終階級は陸軍砲兵少佐位階勲等爵位従四位勲三等公爵

生涯

[編集]

1903年(明治36年)6月8日、第29代当主・毛利元昭の長男として東京に生まれる。1916年大正5年)3月学習院初等学科を卒業。その後、陸軍地方幼年学校に進学。1925年(大正14年)7月25日陸軍士官学校(37期)を卒業し、同年10月26日、陸軍砲兵少尉に任官[2]陸軍砲工学校陸軍野戦砲兵学校で学び、1937年(昭和12年)ドイツに留学[3]。陸軍防空学校教官兼同研究部部員などを務め、陸軍砲兵少佐に昇進した[3]

父・元昭の死去に伴い、1938年(昭和13年)11月15日公爵を襲爵して[1][4]貴族院公爵議員に就任し[5]1946年(昭和21年)2月21日に辞職した[6]1947年(昭和22年)12月に昭和天皇の戦後巡幸があった。同月1日に毛利元道の別邸が、12月3日に本邸が宿泊所に充てられた[7]

戦後はユネスコの活動に深く関わり、日本ユネスコ国際委員を務めた。その縁もあって、かつてのユネスコ村には高輪毛利邸の門が移築された(ユネスコ村を経営していた西武鉄道に邸宅を売却したことも若干絡んでいる)。また、日本国際連合協会山口県副本部長、山口県公安委員なども務め、その功績などから1968年(昭和43年)11月には勲三等旭日中綬章を受章した。

1976年(昭和51年)1月22日、急性肺炎のため山口県防府市の三田尻病院にて死去[8]

その他

[編集]

ボーイスカウト山口県連盟の広報誌『百万一心』の題字は元道の揮毫である[9]

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成』下巻、721-722頁。
  2. ^ 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年、240頁。外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年、474頁。
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』11頁。
  4. ^ 『官報』第3561号、昭和13年11月16日。
  5. ^ 『官報』第3574号、昭和13年12月2日。
  6. ^ 『官報』第5736号、昭和21年2月28日。
  7. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、99頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  8. ^ 訃報欄『朝日新聞』1976年(昭和51年)1月23日夕刊、3版、11面
  9. ^ ボーイスカウト山口県連盟広報誌のタイトル「百万一心」の由来 - ボーイスカウト山口県連盟

参考文献

[編集]
日本の爵位
先代
毛利元昭
公爵
毛利家(宗家)第3代
1938年 - 1947年
次代
華族制度廃止