楊時
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楊 時(よう じ、皇祐5年(1053年)- 紹興5年4月24日(1135年6月7日))は、中国北宋末から南宋初の儒学者。字は中立。亀山先生と号する。諱は文靖。
略伝
[編集]南剣州将楽県(現在の福建省三明市将楽県)の出身。経史を研究し熙寧9年(1076年)に進士となる。程顥と、ついで程頤に師事する。47年に及ぶ地方官生活のうち、秘書郎から国子祭酒に昇ったが、蔡京ら新法派を非難して、一時官を辞めさせられたことがある。南宋の初めに瀏陽・余杭・蕭山の知事となり善政をしき、高宗の時に龍図閣直学士となる。退官後は東林学院を設立して著述や講学に従事し、胡安国と往来し、二程(程顥・程頤)の正統を継ぐものとして重んじられた。その学問は羅従彦をへて李侗に伝わり、朱熹に到った。著書に『二程粋言』2巻、『亀山集』42巻、『亀山語録』4巻がある。
参考文献
[編集]- 『宋史』列伝第187・道学2