梁如浩
表示
梁如浩 | |
---|---|
Who's Who in China 3rd ed. (1925) | |
プロフィール | |
出生: | 1863年(清同治2年)[1] |
死去: |
1941年(民国30年)10月14日 中華民国天津特別市 |
出身地: | 清広東省広州府香山県 |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 梁如浩 |
簡体字: | 梁如浩 |
拼音: | Liáng Rúhào |
ラテン字: | Liang Ju-hao |
和名表記: | りょう じょこう |
発音転記: | リャン ルーハオ |
英語名: | M. T. Liang |
梁 如浩(りょう じょこう)は清末民初の政治家。北京政府の要人。字は孟亭、夢亭。
事績
[編集]1874年(同治12年)、アメリカに留学して同地で学歴を重ねる。1881年(光緒7年)に帰国した。1883年(光緒9年)、朝鮮に赴き、税関の設置に従事する。1885年(光緒11年)に袁世凱が駐朝鮮通商事宜大臣として着任し、梁如浩はその幕僚となった。1894年(光緒20年)、袁に随従して帰国し、関内鉄路運輸処処長に任じられる。さらに北寧鉄路総弁に昇格した。
1905年(光緒31年)、駐荷蘭(オランダ)欽差大臣に就任した陸徴祥に随従してオランダに赴任する。帰国後は鉄道整備事業に従事した。1908年(光緒34年)、外務部右丞となる。1911年(宣統3年)11月、袁世凱内閣において郵伝部副大臣となったが、広東省で胡漢民が軍政府を樹立して独立すると、梁はその交通部部長を務めた。
1912年(民国元年)9月、北京政府の陸徴祥内閣において外交総長に就任する。10月には国民党に加入した。しかし、趙秉鈞内閣に移行した後の同年11月、わずか2か月で外交総長を辞任した。後に、ワシントン会議で中国代表団の高等顧問をつとめる。1924年(民国13年)に政界から引退し、以後は慈善事業に取り組んだ。
1941年(民国30年)10月14日、天津にて死去。享年79。
注
[編集]参考文献
[編集]- 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
中華民国(北京政府)
|
---|