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李洪九

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
李 洪九
이홍구
生年月日 (1934-05-09) 1934年5月9日(90歳)
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮京畿道高陽郡
出身校 ソウル大学校法科大学
エモリー大学
イェール大学
現職 学者
政治家
所属政党 民主自由党

在任期間 1994年12月17日 - 1995年12月17日
元首 金泳三

在任期間 1994年4月30日 - 1994年12月16日
元首 金泳三

大韓民国の旗 大韓民国国土統一院長官
在任期間 1988年2月25日 - 1990年3月18日
元首 盧泰愚
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李 洪九(イ・ホング、1934年昭和9年)5月9日 - )は、大韓民国学者政治家

本貫全州李氏京畿道高陽郡(現在のソウル市恩平区)出身[1]

生涯

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京畿高等学校を卒業。ソウル大学校法科大学に進学。エモリー大学に留学し、政治学を専攻。イェール大学で政治学の博士号を取得。

エモリー大学教授を務めた後に1968年に帰国し、ソウル大学校政治学科の教授に着任。1988年から1990年まで国土統一院長官、1991年から1993年まで駐英大使、1994年に統一院長官兼副総理、1994年から1995年まで国務総理を務めた。

1996年、当時与党新韓国党から全国比例区で第15代国会議員に当選。新韓国党代表となり、一時は金泳三大統領の後継候補に挙論された。だが1996年12月の労働法改正案強行採決が国民の反発を買い、新韓国党代表を辞任した。

1998年から2000年まで、金大中政権で駐米大使を務めた。

2019年10月10日徴用工訴訟問題日韓貿易紛争日韓関係が悪化する中、他の政界、宗教界、学会関係者らとともに安倍晋三首相に対話促す声明を発表。輸出規制の廃止や憲法の維持などを求めた[2]

脚注

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  1. ^ 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年3月11日閲覧。
  2. ^ 韓国重鎮ら、安倍首相に対話促す 即位礼正殿の儀を機に”. 朝日新聞 (2019年10月11日). 2019年10月11日閲覧。

参考資料

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公職
先代
李栄徳
大韓民国の旗 大韓民国国務総理
第28代:1994 - 1995
次代
李寿成
先代
李栄徳
大韓民国の旗 大韓民国統一院長官
第20代:1994
次代
金悳
先代
許文道
大韓民国の旗 大韓民国国土統一院長官
第14代:1988 - 1990
次代
洪性澈
外交職
先代
呉在熙
大韓民国の旗イギリス大韓民国大使
第12代:1991 - 1993
次代
盧昌熹
先代
朴健雨
大韓民国の旗アメリカ合衆国大韓民国大使
第17代:1998 - 2000
次代
梁性喆