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平常長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
平常長
時代 平安時代中期
生誕 万寿元年11月15日1024年12月18日
死没 嘉承3年2月9日1108年3月23日
別名 恒長、経長、常永、千葉大夫?
戒名 常照院覚永
官位 従五位下下総権介武蔵押領使
氏族 房総平氏
父母 父:平常将、母:中原師直女?[1][2]
兄弟 常長常直
佐賀常家千葉常兼鴨根常房
原頼常相馬常晴村澤常義
安西常遠大須賀常継次浦常盛
埴生常門常重
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平 常長(たいら の つねなが)は、平安時代武士

略歴

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万寿元年(1024年)、平常将の子として誕生。

前九年の役後三年の役源頼義義家父子に従って戦功を立てたとされる。戦後は上総国大椎に館を構え、さらに下総国千葉郷に進出して千葉大夫と号したとされる。

嘉承3年(1108年)、死去。

常長の多くの子らにより房総平氏の諸氏が形成されるが、このうち、次男・常兼千葉氏、五男・常晴上総氏の祖となってそれぞれ発展していく事になる。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『千葉大系図』
  2. ^ 伝説によると母は「天女」とされる。

外部リンク

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先代
平常将
房総平氏3代当主
平常長
次代
平常家