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平岩重益

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
平岩 重益
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 享禄3年(1530年[1]
改名 元次、重益[1]
別名 五郎右衛門[1]
戒名 了玄[1]
主君 松平信光親忠長親信忠
氏族 平岩氏
父母 父:平岩光吉[1]
親重、菅沼越後守の妻、親基、親長、親弘、鈴木重直の妻[1]
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平岩 重益(ひらいわ しげもと)は、戦国時代三河国武将徳川家康の重臣・平岩親吉の祖父。

経歴

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三河国額田郡坂崎の土豪・平岩氏の4代目。三河国の有力国人である松平氏の被官で、岩津城主だった信光から安祥城主となった長親までの3代に仕え、また額田郡の代官を務めたという。長親の引退後はその子の信忠に仕えたが、大永3年(1523年)信忠が嫡男の清康に家督を譲って隠退すると、重益は清康には仕えず坂崎に閉居した。享禄3年(1530年)に没[1]

脚注

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参考文献

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  • 『新訂寛政重修諸家譜』 18巻、続群書類従完成会、1965年。ISBN 978-4-7971-0222-2